No.793


 10月28日、日本映画「愛にイナズマ」をシネプレックス小倉の4番シアターのL17席で観ました。松岡茉優、窪田正孝という演技派2人のW主演に加えて、豪華俳優陣の競演を大いに堪能しました。正直あまり期待はしていませんでしたが、「縁」について考えさせてくれる傑作でしたね。
 
 ヤフーの「解説」には、こう書かれています。
「『勝手にふるえてろ』などの松岡茉優と『ラジエーションハウス』シリーズなどの窪田正孝を主演に、『舟を編む』などの石井裕也がメガホンを取った人間ドラマ。念願の映画監督デビューを目前に大切な夢を奪われた女性が、疎遠だった家族の力を借りて理不尽な社会に立ち向かう。ヒロインの反撃に巻き込まれる家族を『宮本から君へ』などの池松壮亮、『街の上で』などの若葉竜也、『64-ロクヨン-』シリーズなどの佐藤浩市が演じるほか、MEGUMI、三浦貴大らが共演する」
 
 ヤフーの「あらすじ」は、「26歳の折村花子(松岡茉優)は幼少時から夢見ていた映画監督デビューを控える中、空気は読めないが魅力的な男性・舘正夫(窪田正孝)と運命的な出会いを果たす。人生に明るい兆しが見え始めた矢先、彼女は無責任なプロデューサー(MEGUMI)にだまされ、報酬をもらえないまま企画を奪われる。卑劣な仕打ちに打ちのめされる花子だったが、正夫に励まされ、大切な夢を奪った理不尽な社会への反撃を誓う。そして正夫と共に、長らく疎遠だった父(佐藤浩市)と兄たち(池松壮亮、若葉竜也)のもとを訪れる」です。
 
 松岡茉優が演じる主人公の折村花子は、映画監督として初の商業作品「消えた女」に賭けていましたが、大人の事情で夢が破れます。MEGUMIが演じるプロデューサーも、三浦貴大が演じる助監督の男もじつに嫌な奴らでした。若い女性が映画を作ることの難しさは、一条真也の映画館「オマージュ」で紹介した2023年の韓国映画がありますが、「愛にイナズマ」の花子は監督を外されただけでなく、自身の母親についての企画そのものも奪われるという悲惨な目に遭います。そこで、彼女は「自分で、母が失踪した真相を究明する家族の映画を作る!」と決心するのでした。
 
 花子が家族の映画を作ると決意するに至ったのは、窪田正孝演じる正夫の存在がありました。まったく空気の読めないピュアな正夫は、「夢を持っている人は素敵です!」「花子さんの夢を叶えて下さい」と、なけなしの貯金を差し出すのでした。そして、父(佐藤浩市)や兄たち(池松壮亮、若葉竜也)と一緒に、花子は映画を作り始めます。本作には、映画製作の現場も描写も多く、わたしはブログ「『君の忘れ方』打ち上げ会」で紹介した『愛する人を亡くした人へ』(現代書林)を原案としたグリーフケア映画「君の忘れ方」の撮影打ち上げ会で会った映画製作スタッフのみなさんの顔が浮かんできました。
 
 花子が「消えた女」という映画を作ろうと思った背景には、母親に家を出て行かれたという過去のトラウマがありました。彼女は、母から捨てられたと思い、その真相を究明したいと思ったのです。母に去られた父も、その後はずっと孤独に生きてきました。配偶者がいなくなるということで、わたしは最近観たばかりの一条真也の映画館「アンダーカレント」で紹介した日本映画を連想しました。家業の銭湯を継いだ女性(真木よう子)が、夫と順風満帆な日々を送っていたにもかかわらず、夫が突然失踪してしまうという物語です。ちなみに、リリー・フランキーが演じる探偵が「じつはね、失踪者というのは帰ってくることはまずないんですよ。年間8万5000件ぐらいあるんですけどね」と言うシーンがあるのですが、その数の多さに驚きました。
 
 わたしは「愛にイナズマ」という映画を興味深く感じたのは、「死」と「葬」についての問題提起があったからでした。「死」については、正夫は都内の食肉工場でアルバイトしているのですが、そこでは毎日のように多くの牛が殺されます。東京のど真ん中で大量殺戮が行われているわけですが、それは「なかったこと」にされています。それを正夫は「大都市は死を隠蔽する」と疑問視するのです。「死」といえば、正夫の部屋に居候していた郷里の友人が首を吊って自死します。この悲劇的な場面を観て、わたしは自死者の追い詰められた心境は理解できるものの「他人の部屋で死んで、迷惑をかけてはいけないな」と思いました。また、「葬」に関しては、海洋散骨のシーンがドラマティックに描かれていました。ただし、映画のようにフェリーからの散骨はできませんけどね。
 
 この映画、赤というカラーがシンボル的に使われています。アベノマスクもシンボル的に使われ、登場人物が殴られたりすると白いアベノマスクが赤く円形に滲み、日の丸のようになります。また、「1500万円」というお金の金額が何度も登場します。それは、花子をはじめとした登場人物たちの人生を左右するお金です。さらには、Wikipediaに名前が出ているかどうかが人生の充実度を計る重要な要素になっています。赤色にも、アベノマスクにも、1500万円にも、Wikipediaにも、監督は思い入れやこだわりあったのかもしれませんが、わたしにはどうもピンときませんでした。
 
 それよりも、この映画、140分あるのですが、もっと編集して短くした方が締まったと思います。映画評論家の蓮實重彦氏の言うように「すべての映画は90分でよい」とはさすがに思いませんが、この物語なら120分あれば充分でした。さらには「相手の存在を確認する」手段としての「ハグ」を描きたかったようですが、これには共感できました。コロナ禍のときはハグなど絶対にタブーでしたが、人間同士が心を通わせる「かたち」として、まさに「ふれあい」としてのハグは重要であると思いました。その代わり、恋愛がサブテーマであるにかかわらず、キスは一度も出てきませんでしたね。
 
 そして、この映画のメインテーマはやはり「家族」でしょう。池松壮介演じる長男の「俺は長男だから」という矜持は、『鬼滅の刃』の竈門炭治郎を連想させ、やはり長男であるわたしのハートにヒットしましたが、家族ほど不思議なものはありません。よく「子は親を選べない」などといいますが、「どうして、この親に生まれてきたのか?」「どうして、この人が自分の兄弟なのか?」などと考えた場合、そこに合理的な理由や意味は見つからず、最後は「縁」という言葉が浮かび上がってきます。
 
「無縁社会」という言葉がありますが、仏教の考えでは、この世はもともと「有縁社会」です。すべての物事や現象は、みなそれぞれ孤立したり、単独であるものは1つもありません。他と無関係では何も存在できないのです。すべてはバラバラではなく、緻密な関わり合いをしています。この緻密な関わり合いを「縁」と言うのです。そして、家族のような生まれつきの血縁だけではなく、新しい「縁」も生まれます。人と人との出会いです。出会いによって人生が変わることも多く、まことに神秘的です。一目惚れというものはその最たるもので、まさにイナズマです。花子と正夫がコロナ禍中のBARで出会ったとき、そこには新たな「縁」を発生させるイナズマが走ったのです!