No.1011
2月14日、雑誌の取材を受ける前に、朝一番でスペイン映画「ザ・ルーム・ネクスト・ドア」をヒューマントラストシネマ有楽町で観ました。2024年のベネチア国際映画祭で金獅子賞を受賞した「死」を見つめる映画です。
ヤフーの「解説」には、こう書かれています。
「『トーク・トゥ・ハー』などのペドロ・アルモドバル監督による人間ドラマ。病魔に侵され安楽死を望む女性と、彼女と久々に再会したかつての親友が過ごすかけがえのない日々を描く。主人公を『フィクサー』などのティルダ・スウィントン、彼女に寄り添う親友を『アリスのままで』などのジュリアン・ムーアが演じ、『バートン・フィンク』などのジョン・タートゥーロ、『ココ・アヴァン・シャネル』などのアレッサンドロ・ニヴォラらが共演。第81回ベネチア国際映画祭コンペティション部門・金獅子賞などを受賞した」
ヤフーの「あらすじ」は、以下の通りです。
「病魔に侵されたマーサ(ティルダ・スウィントン)はかつての親友・イングリッド(ジュリアン・ムーア)と再会し、疎遠だった時間を埋めるかのように友と語り合っていた。治療を望まず、安楽死を希望するマーサは、誰かの気配を感じながら最期を迎えたいと望み、その日が来るときにはイングリッドに隣の部屋にいてほしいと語る。考え抜いた末、親友の最期に寄り添うことを決心したイングリッドは、マーサが借りた森の中の家で生活する」
ネットでは「死を正面から真面目に取り上げすぎていて面白くない」などの意見がありましたが、わたしはすごく面白かったです。だって、人間にとって最も関心のあるテーマは「死」であると思うからです。長い人類の歴史の中で、死ななかった人間はいませんし、愛する人を亡くした人間も無数にいます。これまで数え切れないほど多くの宗教家や哲学者が「死」について考え、芸術家たちは死後の世界を表現してきました。医学や生理学を中心とする科学者たちも「死」の正体をつきとめようとして努力してきました。まさに死こそは、人類最大のミステリーであり、全人類にとって共通の大問題なのです。
ティルダ・スウィントン演じるマーサは抗がん治療の成果もなく、後は静かに死を待つだけですが、終の棲家で穏やかに過ごす姿が、昨年9月20日に亡くなった父の最期の日々に重なりました。末期がんに冒された父は運命を受け入れ、手術も抗がん剤の投与も拒否しました。亡くなる直前まで自宅で療養していた父は、わたしたち家族や、介護や看護をして下さる方々にいつも「疲れてないか?」「食事はしてるか?」「寝てるか?」などと声をかけていました。そして必ず両手を合わせて「ありがとう」と言いました。自分の体調が優れないのに、周囲の人を思いやる父の姿は、最後の最後まで大切なことを教えてくれました。
「ザ・ルーム・ネクスト・ドア」のテーマは「安楽死」。安楽死をテーマとした映画といえば、一条真也の映画館「世界一キライなあなたに」で紹介した2016年のアメリカ映画を思い出します。バイク事故で車いすの生活となり生きる気力をなくしたイギリス人青年実業家ウィル・トレイナー(サム・クラフリン)と、彼の介護に雇われた女性ルイーザ・クラーク(エミリア・クラーク)の切ない恋の行方を描いています。この映画に登場するウィルは、最後にスイスの「ディグニタス」の協力を得て、安楽死を遂げます。スイスには、「エグジット(EXIT)」とディグニタス(DIGNITAS)」という2つの自殺幇助団体が存在しますが、両団体には大きな違いがあります。エグジットはサービスがスイス国民限定なのに対して、ディグニタスではスイス国民以外にもサービスを提供しているのです。そのため医師の厳正な審査を受けた上で、毎年100ほどの人々がこのサービスを受けて自らの命を絶っているとか。
また、安楽死をテーマとした映画といえば、一条真也の映画館「すべてうまくいきますように」で紹介した2022年のフランス映画を思い出しました。フランソワ・オゾン監督が、安楽死を巡る父と娘の葛藤を描く人間ドラマです。脚本家エマニュエル・ベルネイムによる小説を原作に、人生の意味や家族の愛を問いかけています。人生を謳歌していた85歳のアンドレ(アンドレ・デュソリエ)は脳卒中で倒れて体が不自由になり、娘のエマニュエル(ソフィー・マルソー)に人生を終わらせる手助けをしてほしいと頼みます。戸惑う彼女は父の考えが変わることを期待しつつも、合法的な安楽死を支援するスイスの協会と連絡を取り合います。一方、リハビリによって順調に回復するアンドレは積極的に日々を楽しみ、生きる希望を取り戻したかのようでした。しかし、彼は自ら定めた最期の日を娘たちに告げ、娘たちは葛藤しながらも父の決断を尊重しようとするのでした。この映画には、「それでも私は生きていく」でサンドラが涙ながらに連れて行ってほしいと訴えたスイスの湖畔のクリニックが重要な舞台となるのでした。
「死」にはさまざまな側面がありますが、「世界一キライなあなたへ」や「すべてうまくいきますように」や「ザ・ルーム・ネクスト・ドア」を観て痛感するのは「死は解放である」ということです。わたしはどうも「死」や「葬」の専門家として見られているらしく、よく「一条さんは安楽死や尊厳死についてどう思われますか?」などと質問されることが多いです。正直、安楽死については今ひとつ割り切れない思いを抱いています。というのは、そこには人間をモノとみなし、死を操作の対象ととらえる思想が見え隠れするからです。現代の医療テクノロジーの背景には、臓器移植に代表されるように人間を操作可能なモノとみなす生命観があるわけですが、そうした生命観は患者の側も共有しているといるのではないでしょうか。現代の安楽死は、自らの命や身体は自分の意志で左右できる道具であるかのような価値観に根ざしており、わたしには違和感があります。しかし、性急に答えを出さず、これからも安楽死の問題について真摯に考え続けたいと思います。
スイスには自殺幇助団体がありますが、アメリカをはじめ、世界中の国では安楽死や尊厳死は法律で認められていません。ゆえに、それをサポートする人は犯罪者となります。「誰かの気配を感じながら最期を迎えたいと望み、その日が来るときには隣の部屋にいてほしい」というマーサの願いは、イングリッドにとってはたまったものではありません。実際、マーサの依頼は多くの友人たちから断られ、やむなく引き受けることになったイングリッドは警察から「殺人」の疑いをかけられて散々な目に遭います。それでも友人であるマーサの願いを叶えてあげたイングリッドの真心に感動しました。最後にマーサと長く仲たがいをしていた彼女の娘が登場しますが、その娘は母親に生き写しで、行動までそっくりでした。そのシーンを観て、生前の父にわたしはよく似ていると多くの人から言われたことを思い出しました。「子や子孫がいれば、人は死なない」というのは儒教における「孝」の生命観ですが、「ザ・ルーム・ネクスト・ドア」を観終わって、そのことが強く心に残りました。そして、わたしは父の最期に寄り添いましたが、きっと父は喜んでくれたのではないかと思います。