No.1012


 2月15日の午後、東京から北九州に戻りました。 長い会議が終わった14日の夜、イギリス・オーストリア・ドイツ・スイス合作映画「ステラ ヒトラーにユダヤ人同胞を売った女」をヒューマントラストシネマ有楽町で観ました。ナチス支配下のドイツに実在した、同胞を裏切ったユダヤ人女性を描いています。あまり期待していなかったのですが、想像していた以上に面白かったです。
 
 ヤフーの「解説」には、こう書かれています。
「自身が生き残るために同胞たちをゲシュタポに売ったユダヤ人の女性を描く、実話を基にしたヒューマンドラマ。戦時下で生き延びるための選択をしたユダヤ人女性が、終戦後に自分が裏切ったユダヤ人たちから裁判にかけられる。監督などを務めるのは『ぼくは君たちを憎まないことにした』などのキリアン・リートホーフ。『水を抱く女』などのパウラ・ベーア、ドラマ『最後の騎士マクシミリアン 権力と愛の物語』などのヤニス・ニーヴーナーのほか、カッチャ・リーマン、ジョエル・バズマンらが出演する」
 
 ヤフーの「あらすじ」は、以下の通りです。
「1940年8月のベルリン。ユダヤ人の両親を持つ18歳のステラ・ゴルトシュラーク(パウラ・ベーア)は、アメリカでジャズシンガーになる夢を抱いていた。3年後、ユダヤ人用偽造パスポートを売るロルフと出会い、恋に落ちたステラは、同胞や家族らが息を潜めて生活する中、ロルフの手伝いを口実に自由に行動していた。だが、ゲシュタポに逮捕された彼女は、アウシュビッツへの移送を逃れようとベルリンに潜伏中のユダヤ人らの逮捕に手を貸す」
 
 ステラ・イングリッド・ゴールドシュラーク(1922年~1994年)は、第2次世界大戦中にゲシュタポに協力し、ベルリン周辺で活動し、ベルリンの地下ユダヤ人を暴露し、告発したドイツ系ユダヤ人女性です。ヒトラー政権下のベルリンで育ったステラがアーリア人の容姿をそなえたユダヤ人美少女であったことがわかります。そんな彼女は民族意識も希薄なまま、ベルリンに隠れ潜むユダヤ人を摘発しつづけ「ブロンドポイズン」と恐れられました。そして、ゲシュタポの操り人形となって、大虐殺への片道切符に加担したのです。ステラがゲシュタポの拘置所で拷問されたとき、両親の安全を約束されたものの、両親は結局、アウシュビッツに送られて殺されました。
 
「ステラ ヒトラーにユダヤ人同胞を売った女」は、ステラの悲劇的な人生を時系列に沿って戦後の裁判まで映像化しています。いささか断片的な印象は否めませんが、30歳のドイツ人女優であるパウラ・ベーアの迫真の演技に引き込まれます。戦後、彼女はユダヤ教からキリスト教に改宗し、公然とした反ユダヤ主義者になりました。彼女が裏切ったり、ナチスに引き渡したりした人々の数は、600人から3000人と推定されています。罪の意識からか、彼女は最期は飛び降り自殺しますが、その直前に真っ赤な口紅を引いたシーンは、同日の朝に鑑賞した一条真也の映画館「ザ・ルーム・ネクスト・ドア」で、主人公マーサ(ティルダ・スウィントン)が安楽死する直前に深紅の口紅を引いたシーンを連想しました。ともに女性の死化粧ですね。
 
 リートホーフ監督は、軍需工場での強制労働、身分証を偽造する青年との潜伏生活、ゲシュタポによる残忍な拷問などの悲劇的なエピソードを通して、〝被害者〟としてのステラを描きます。一方、アウシュヴィッツ強制収容所行きを逃れるために次第に積極的な〝加害者〟へと変容していった彼女の罪の重さを映し出します。ステラの人生は、あまりにも複雑です。わたしは基本的に彼女同情しながら鑑賞しましたが、裏切られたユダヤ人たちにとってみればまさに"悪魔のような女"だったとも思います。監督の意図は、ステラの人生に白黒をつけるのではなく、不穏な現代への警鐘を鳴らそうとしたように思います。
 
 リートホーフ監督といえば、一条真也の映画館「ぼくは君たちを憎まないことにした」で紹介した2023年のドイツ・フランス・ベルギー合作映画のメガホンを取りました。2015年のパリ同時多発テロ発生から2週間の出来事を描いた、アントワーヌ・レリスの原作を基に描く人間ドラマです。テロで妻を失い、悲しみと不安の中で息子の面倒を見る男性が、テロリストに手紙を書くのでした。この作品と「ステラ ヒトラーにユダヤ人同胞を売った女」に通じるのは、加害者と被害者の間に明確な境界線を引かず、歴史の暗い面を描き出したところでしょう。きっとリートホーフ監督は優しい人なのだとは思いますが、わたしは「ちょっと違うな」と思います。
 
 ナチス政権下でユダヤ人同胞を裏切るユダヤ人の物語といえば、一条真也の映画館「サウルの息子」で紹介したハンガリー映画で紹介したカンヌ映画祭でグランプリを受賞した2015年のハンガリー映画を連想しました。強制収容所に送り込まれたユダヤ人たちがたどる壮絶な宿命に迫る感動作です。仲間たちの死体処理を請け負う主人公サウルが、息子と思われる少年をユダヤ人としてきちんと葬るために収容所内を駆けずり回る2日間を活写しています。リアルなホロコーストの惨状と、極限状態下でもなお、息子を正しく埋葬することにより、最後まで人間としての尊厳を貫き通そうとしたサウルの生き様が強い感動を呼びます。
 
 それにしても、ナチスを題材とした映画の数の多さには驚きます。一条真也の読書館『ナチス映画史』で紹介した馬庭教二氏の著書によれば、近年、ヒトラーやナチスを題材とする映画が多数製作、公開されています。2015年から2021年の7年間に日本で劇場公開された外国映画のうち、ヒトラー、ナチスを直接的テーマとするものや、第2次大戦欧州戦線、戦後東西ドイツ等を題材にした作品は筆者がざっと数えただけで70本ほどありました。この間毎年10本、ほぼ月に1本のペースでこうした映画が封切られていたことになるわけで、異常なまでの数の多さです。さすがにネタ切れになってきたため、新手のネタとして一条真也の映画館「関心領域」で紹介したアメリカ・イギリス・ポーランド映画や本作ステラ ヒトラーにユダヤ人同胞を売った女」のような作品が生まれたという見方もできます。これからもナチスやヒトラーを描いた映画は続々と作られ、公開されていくことでしょう。