No.1013
東京出張中の夜にヒューマントラストシネマ有楽町を訪れ、一条真也の映画館「ステラ ヒトラーにユダヤ人同胞を売った女」で紹介したイギリス・オーストリア・ドイツ・スイス合作映画を観た後、続けてブルガリア・ルーマニア合作映画「おんどりの鳴く前に」のレイトショーを観ました。この劇場はヨーロッパをはじめ世界中の映画を鑑賞できるので助かっています。本作はルーマニア・アカデミー賞の6冠に輝いた辺境サスペンスですが、面白かったです!
ヤフーの「解説」には、こう書かれています。
「ルーマニア・モルドバ地方の小さな村を舞台に描くサスペンス。閉じられたコミュニティーの中で起きた殺人事件を捜査する中年の警察官が、欲望と正義の間で揺れ動く姿を映し出す。監督を手掛けるのはパウル・ネゴエスク。ユリアン・ポステルニク、ヴァシレ・ムラルのほか、アンゲル・ダミアン、『#セルフィー ~アツい夏の卒業旅行~』などのクリナ・セムチウクらが出演している」
ヤフーの「あらすじ」は、以下の通りです。
「中年の警察官イリエは、ルーマニア・モルドバ地方の村で警察官を務めている。果樹園を営みつつ穏やかなセカンドライフを送ることが彼の望みだったが、ある日イリエが勤務する村で惨殺死体が発見される。捜査を担当するイリエはその事件をきっかけに、のどかに見える村の隠された一面を目撃することになる」
この映画を知ったのは映画評論家の町山智浩氏の解説動画を観たからです。相変わらずネタバレともいえる解説を披露する町山氏ですが、この「おんどりの鳴く前に」の話は非常に面白そうでした。それで鑑賞することにした次第ですが、この日は朝一番で一条真也の映画館「ザ・ルーム・ネクスト・ドア」で紹介したスペイン映画、夜も「ステラ ヒトラーにユダヤ人同胞を売った女」を観ました。その後に観た「おんどりの鳴く前に」はこの日3本目の鑑賞だったわけで、さすがに疲れは隠せませんでした。しかもアルコールも入っているので開始早々に寝てしまいましたが、だんだん物語が加速してスリリングになってきます。そして衝撃のラストが待っていました。
タイトルにある「おんどり」とは、『新約聖書』に記されたイエス・キリストのエピソードに由来します。ペテロが「主よ、どこへ行くのですか」と訊いたところ、イエスは「あなたは私が行こうとしている所へ今は付いてくることができません。しかし後で来ることになります」と答えます。ペテロが「主よ、どうして今は付いていけないのですか。あなたのためなら命もなげうちます」と言うと、イエスは「私のために命をなげうつというのですか。はっきり言っておきますが、おんどりが鳴くまでの間に、あなたは3度、私を知らないと言います」と言うのでした。
『新約聖書』の冒頭にあって、イエスの生涯と教説を記したマタイ・マルコ・ルカ・ヨハネの4つの福音書はすべて「おんどりが鳴く」ことを述べていますが、マルコだけはおんどりが2度鳴くことまで記しています。ここで言うおんどりの鳴き声は、夜が明ける前の非常に早い時間のことだったと思われます。そんな時間に起こったある殺人事件。それを調べる若い警察官は何者かに半殺しにされます。最初は若い警察官を疎んじていた中年警察官イリエは持ち前の正義感が目を覚まし、大胆な行動に出るのでした。わたしを含め、観客はイリエの態度にずっとストレスを抱き続けるのですが、最後の最後のストレスが完全に開放され、大いなるカタルシスを得ることができました。
「おんどりの鳴く前に」でのカタルシスに接して、わたしは 一条真也の映画館「ザ・ハント」で紹介した2020年のアメリカ映画のラストを思い出しました。「ザ・ハント」は富裕層が娯楽目的で行う人間狩りを描いたバイオレンススリラーです。標的として集められた男女のサバイバルを、アメリカ社会への風刺を盛り込み活写。広々とした森の中で12人の男女が目覚めると巨大な木箱があり、中には1匹の豚と数多くの武器が入っていました。状況が飲み込めないまま何者かに銃撃された彼らは武器を手に逃げ惑う中、あるうわさが本当であったことに気付きます。それは、「マナーゲート」と呼ばれる一部の富裕層によるスポーツ感覚の「一般市民狩り」でした。一方、狩られる側の1人であるクリスタル(ベティ・ギルピン)が反撃を開始します。
また、「おんどりの鳴く前」は倫理的な問題を扱います。ここでいう倫理とは職業倫理といってもいいでしょう。村の暗部を知ってしまった後も知らないふりをし続けるイリエは、警察官としての職業倫理に悩まされます。このあたりは、一条真也の映画館「陪審員2番」で紹介した2024年のアメリカ映画を連想しました。恋人殺害の容疑で被告となった殺人犯の裁判をめぐり、陪審員となった主人公の男性が、思わぬかたちで事件と関わっていき、被告を有罪にするか、釈放するか、深刻なジレンマに悩むことになる物語です。ここにトニ・コレットが演じる女性検事が登場するのですが、彼女も自身の職業倫理に悩むのでした。
ちょっと引っかかるのは、「おんどりの鳴く前に」の舞台はルーマニアの辺境の村だというところですね。日本には、辺境ホラーというジャンルがあります。一条真也の映画館「犬鳴村」、「樹海村」、「牛首村」で紹介した清水崇監督による「恐怖の村」シリーズが代表的ですが、田舎に対する偏見に基づいて映画が作られているのが気になります。人間とか霊とかいうよりも、村とか島とかの場所を強引に恐怖の源泉にしてしまうから、不愉快なトンデモ偏見映画になってしまうのです。ルーマニアは吸血鬼伝説もある国ですが、その辺境というだけでトンデモ村扱いするのはちょっと良くないのではと思いました。