No.1088


 80年目の「沖縄慰霊の日」の6月23日、沖縄平和祈念堂での「沖縄全戦没者追悼式」に参列した後、話題のアメリカ映画「罪人たち」をシネマQで観ました。すごく面白かったのですが、すぐ近くに上映中ずっと声を立てて笑っている老人がいました。病気なのかもしれませんが、映画鑑賞に集中することができず残念でした。恐怖や不安を感じると逆に笑ってしまう病気があるそうですが、そういう方は劇場ではホラー映画を観ない方がよろしいかと思います。
 
ヤフーの「解説」には、こう書かれています。
「ダンスホールで起きる変異に立ち向かう双子の行く末を描くホラー。アメリカ南部の町にダンスホールを開いた双子の兄弟が、思いも寄らない事態に見舞われる。メガホンを取るのは『ブラックパンサー』シリーズなどのライアン・クーグラー。クーグラー監督作『クリード チャンプを継ぐ男』などのマイケル・B・ジョーダンが、一人二役で双子の兄弟を演じる。『バンブルビー』などのヘイリー・スタインフェルド、『Back to Black エイミーのすべて』などのジャック・オコンネルらが出演する。
 
 ヤフーの「あらすじ」は、以下の通りです。
「1930年代、アメリカ南部の田舎町。一獲千金を夢見る双子の兄弟スモーク(マイケル・B・ジョーダン)とスタック(マイケル・B・ジョーダン)は、違法の酒をふるまうダンスホールの経営を計画する。オープン初日を迎え、多くの客が酒やダンスに酔いしれる姿を見て、スモークとスタックは成功を確信する。だが、ある存在が客として訪れたことで、ホールは阿鼻叫喚と化す」
 
 アメリカで大ヒットしたそうで、日本でも急遽公開が決定しました。これは公開情報なので明かしても大丈夫だと思いますが、本作は吸血鬼映画です。それと同時に黒人音楽、特にブルースを中心とした音楽映画でもあります。前半が音楽映画で、後半がホラー映画といった印象で、途中でジャンルが一変する不思議な作品です。登場する吸血鬼はゾンビの要素も兼ね備えた邪悪な存在で、次々に仲間を増やすさまは感染症の擬人化のようでもありました。
 
 吸血鬼が登場するホラー映画といえば、最近では、一条真也の映画館「ノスフェラトゥ」で紹介したクラシックな吸血鬼映画が公開されました。1922年製作のF・W・ムルナウ監督による「吸血鬼ノスフェラトゥ」を、同作に多大な影響を受けたという現代のホラー映画の巨匠ロバート・エガース監督がリメイク。えたいの知れない存在がもたらす恐怖を描いています。「ノスフェラトゥ」は、ずばりブラム・ストーカーの小説『吸血鬼ドラキュラ』のエピソードを登場人物の名前をすべて変えて描いた映画です。ここではドラキュラ伯爵はオルロック伯爵となっていますが、要するに単独で行動しているわけです。しかし、「罪人たち」の吸血鬼は集団で行動する点がゾンビ的だと思うわけです。

「罪人たち」に登場する吸血鬼のほとんどは黒人です。最初の吸血鬼は白人だったのですが、映画自体が黒人の出演者だらけなので、必然的に黒人の吸血鬼が増えたわけです。わたしは、「吸血鬼ブラキュラ」という1972年のアメリカ映画を思い出しました。トランシルバニアを訪れていたアフリカの小国の王子は、ドラキュラ伯爵の魔の手により不死の体を与えられ封印されてしまいます。そして200年後、ロサンゼルスの街で蘇るのでした。ブラックドラキュラ、そう、吸血鬼ブラキュラとなって夜の街を蠢き、失った妻を捜し求めます。アフリカ系アメリカ人を中心にしたブラックエクスプロイテーションホラー映画の中でも珍しい吸血鬼映画です。

 最初の白人吸血鬼がなぜ出現したかというと、牧師の息子であるサミーという黒人少年が弾くギターの音色に誘われたことが原因でした。映画の冒頭に「本物の演奏者の奏でる音楽には、生も死も超える力がある」というセリフが出てきます。優れた音楽には悪魔や霊をも呼び出す魔力があるというわけですが、サミーはまさに本物の演奏者であり、彼によって邪悪な存在が召喚されたのです。わたしは、一条真也の映画館「リメンバー・ミー」で紹介したディズニー&ピクサーの2017年のアニメ映画を連想しました。「リメンバー・ミー」は第90回アカデミー賞において、「長編アニメーション賞」と「主題歌賞」の2冠に輝きました。このアニメ映画は、音楽が生と死を超えて、死者たちにもメッセージが届くことを見事に表現しています。

「リメンバー・ミー」の主人公は、過去の出来事が原因で、家族ともども音楽を禁止されている少年ミゲルです。ある日、先祖が家族に会いにくるという「死者の日」に開催される音楽コンテストに出ることを決めます。伝説的ミュージシャンの霊廟に飾られたギターを手にして出場しますが、それを弾いた瞬間にミゲルは死者の国に迷い込んでしまいます。カラフルな「死者の国」も魅力的でしたし、「死」や「死後」というテーマを極上のエンターテインメントに仕上げた大傑作です。「リメンバー・ミー」を観れば、死者を忘れないということが大切であると痛感します。わたしたちは死者とともに生きているのであり、死者を忘れて生者の幸福など絶対にありえません。
カチャーシーは先祖・子孫とともに踊る♪



 最も身近な死者とは、多くの人にとっては先祖でしょう。先祖をいつも意識して暮らすということが必要です。わたしたちは、先祖、そして子孫という連続性の中で生きている存在です。遠い過去の先祖、遠い未来の子孫、その大きな河の流れの「あいだ」に漂うもの、それが現在のわたしたちにほかなりません。ちょうど今、沖縄にいますが、沖縄にはカチャーシーという舞踊があります。結婚披露宴や生年祝など、沖縄の祝宴にはカチャーシーがつきものです。老若男女がみんな踊るさまは、本当にほほ笑ましいものです。しかも、おそらく過去の祖先たちも姿は見えないけれどそこにいて、一緒になって踊っているという気配がします。カチャーシーのリズムに身をまかせていると、「生命は永遠である」という不思議な実感が湧きます。 音楽やダンスといえば、ブログ「沖縄全戦没者追悼式前夜祭」で紹介したセレモニーでは、「琉球古典音楽 合同献奏」「琉球古典音楽 独唱献奏」「琉球舞踊奉納」など、琉球の芸能文化を存分に堪能しました。亡くなった犠牲者たちの魂を慰めたことと思います。5月30日に他界された宗教哲学者の鎌田東二先生は「グリーフケアに最も効果的なのはアートだ!」と喝破されていましたが、生者のグリーフケアだけでなく、死者の鎮魂にも音楽や舞踊などのアートが重要であると痛感しました。そういえば、鎌田先生は「リメンバー・ミー」が大好きでした。映画には辛口批評で知られる先生でしたが、この映画だけは「音楽の持つ力を見事に描いている」と大絶賛されていました。「罪人たち」も鎌田先生に観ていただきたかったです。そして、朝日が吸血鬼たちを退散させたシーンを見て、わたしは鎌田先生が力説されたSUNRAY=産霊の秘力を改めて思い知ったのでした。