No.1094
東京に来ています。銀座で次回作の出版打ち合わせをした後、TOHOシネマズ日比谷で日本映画「夏の砂の上」を観ました。しみじみと泣ける、グリーフケア映画でした。
ヤフーの「解説」には、こう書かれています。 「『紙屋悦子の青春』の原作などで知られる松田正隆の戯曲を、『そばかす』シリーズなどの玉田真也監督が映画化。夏の長崎を舞台に、息子を亡くした喪失感から抜け出せない男と、彼の妹が預けていっためいとの共同生活の行方を描く。監督としても活動するオダギリジョーが主演と共同プロデューサーを務め、彼のめいを『ゴーストキラー』などの高石あかり、主人公の妻を『告白』などの松たか子が演じるほか、満島ひかり、森山直太朗、高橋文哉、光石研らが共演する」
ヤフーの「あらすじ」は、「夏の長崎。幼い息子を亡くした喪失感から心に傷を負った小浦治(オダギリジョー)は働こうともせず、妻・恵子(松たか子)とは別居していた。ある日、彼の妹・阿佐子(満島ひかり)が17歳の娘・優子(高石あかり)をしばらく預かってほしいと訪ねてきて、治と優子との共同生活が始まる。父親の愛を知らずに育った優子が、不器用ながらも懸命に父親の代わりを務めようとする治との暮らしに慣れてきたころ、彼女は治と恵子が口論しているところに出くわす」です。
この物語の主人公である小浦治(オダギリジョー)は、さまざまなものを失った多重喪失者です。幼い息子を亡くし、妻と離婚し、仕事まで失ってしまう。息子は不慮の事故で亡くなりますが、その後の彼の言動から、彼自身の不注意でわが子を死なせたことが窺えます。そのせいもあって、妻である恵子(松たか子)の心が治から離れていきます。子どもを亡くした夫婦の心が離れる物語は非常に多いです。本当は傷(きず)を共有しているわけですから、強い絆(きずな)が生まれるはずなのですが、現実はそうも行かないのでしょうね。さらに、治は勤務していた造船工場の閉鎖で溶接工の職を失った後、働こうとしません。ようやく重い腰をあげて、ハローワークに向かいますが、そこでも思うような仕事には出合えません。わたしはハローワークに行ったことはありませんが、変なプライドにとらわれた人間は新しい職にも就けないことがわかります。特に、自分の行いが原因で退職したのに、それを「他人の圧力で会社を辞めさせられた」などという被害妄想を抱くような者は、どんな職場からも拒絶されるでしょう。
オダギリジョーの演技は素晴らしかったです。特に、息子を死なせたことへの後悔と悲しみ、妻が自分の後輩(森山直太朗)と不倫していることへの怒り......そのような負の感情を爆発させるシーンには鬼気迫るものがあり、正直、オダギリジョーという俳優を見直しました。そんな精神崩壊寸前の治に寄り添う姪の優子を演じた髙石あかりの存在感と演技力も光っていました。母親の阿佐子(満島ひかり)から邪魔者扱いされている優子も深い悲しみを抱えているのですが、その悲しみが治の悲しみとシンクロし、それぞれが痛みと向き合いながら、夏の砂のように乾き切った心に、小さな希望の芽を見つけていく姿がわたしの胸を打ちました。治と優子という伯父と姪は、もちろん血縁でも繋がっていますが、もっと強固な絆としての「悲縁」によって結ばれたのです。ちなみに、髙石あかりは、昨年9月の長崎ロケ中にNHK連続テレビ小説「ばけばけ」のヒロインに決まりましたが、「絶対、言っちゃうのでオダギリさんにだけは言わないように」と隠していたそうです。微笑ましいエピソードですね。
映画「夏の砂の上」では、サイドストーリーとして、髙石あかり演じる優子と高橋文哉演じる立山のラブストーリーが展開されます。立山は優子に好意を抱いていますが、優子の方はそうでもありません。その理由としては、彼女は愛を知らずに育ってきたことと、いずれこの街から消える存在なのだという意識があったのだと思います。ちなみに、高石あかりも高橋文哉も現在、すごい人気だそうですが、わたしはまったく知りませんでした。名前と顔も一致しませんでした。では、映画館のスクリーンで彼らの顔を見たことがないかというと、そんなことはありません。高石あかりは、一条真也の映画館「スマホを落としただけなのに~最終章~ファイナル ハッキング ゲーム」で紹介した映画で正体がブラックハッカーのカフェ店員を演じていましたし、一条真也の映画館「私にふさわしいホテル」で紹介した映画では、滝藤賢一演じる大御所作家のじゃじゃ馬娘を演じていました。一方、仮面ライダー俳優出身の高橋文哉は 一条真也の映画館「牛首村」、 「ブルーピリオド」で紹介した映画にも出演していましたし、一条真也の映画館「少年と犬」で紹介した映画では主演も務めています。
この映画、オダギリジョー、松たか子、満島ひかり、光石研といった俳優陣の名前を聞いただけで名作の香りが漂っています。まあ、森山直太朗の演技はちょっとビミョーでしたが、髙石あかり、高橋文哉を加えて、間違いなく豪華キャストだと言えるでしょう。特にオダギリジョーは、主演だけでなく共同プロデューサーも務めました。彼は、「2000年代初頭は、多種多様な作品がたくさん作られていた時代だったと思いますが、いつ頃からか、ミニシアター系と呼ばれていた規模の映画は作られにくくなり、ある程度の動員が見込める原作モノや、メジャーなエンタメ作品ばかりが作られる状況が続いています。時代の流れと言われれば仕方のないことだとは思いますが、あの頃のような日本映画がなくなってしまうのは、とてももったいないことだと感じていました。そんな中、本作の脚本は『まだこういう作品を作ろうとしてくれている人たちがいる』『この人たちがいる限り、日本映画もまだ捨てたものではない』と思えるようなもので、この作品を実現する為に何か自分に出来る事があれば協力したいと思い、プロデューサーに名乗りをあげました」と語っています。
「夏の砂の上」は多重性グリーフを描いた物語ですが、その根底には長崎原爆という壮大なグリーフの存在があります。優子が立山と抱き合っているとき、ガラス片で腕を怪我します。そのとき、彼女はガラス片に日光を反射させながら、「ピカッ」と口にします。そして、「ピカッと光って、この街の何もかもが消えたんでしょう? わたしも消えたいな」とつぶやくのでした。このセリフは彼女の抱えている深い悲しみを見事に表現しています。ちなみに、原作戯曲を書いた松田正隆は長崎の出身です。長崎原爆といえば、もうすぐ「長崎―閃光の影で―」という映画が公開されます。日本赤十字社の看護師たちが被爆から35年後に記した手記を原案に描くヒューマンドラマです。原爆投下直後の長崎を舞台に、被爆者救護にあたった看護学生たちの1か月を映し出します。1945年、看護師の卵であった(菊池日名子)、敦子(小野花林)、ミサを(川床明日香)の3人は、長崎に投下された原爆によって被爆した人々の命を救おうと駆けずり回るのでした。この「長崎―閃光の影で―」は7月25日に長崎先行公開、8月1日には全国公開されますので、ぜひ観たいです!