No.1168


 11月26日、西新橋での業界関連の会議を終えた後で日比谷に移動。TOHOシネマズ日比谷で日本映画「兄を持ち運べるサイズに」を観ました。28日からの公開ですが、先行上映されていました。葬儀がテーマの映画なので、少しでも早く観たいと思ったのです。しかし。まことに残念ながら、わたしの心にはあまり響きませんでした。

 ヤフーの「解説」には、「翻訳家・エッセイストの村井理子によるノンフィクションエッセイ「兄の終い」を、『湯を沸かすほどの熱い愛』などの中野量太監督が映画化。疎遠になっていた兄の死により再会した家族が、彼の後始末に奮闘する日々を描く。幼いころから兄に振り回されてきた主人公を『すーちゃん まいちゃん さわ子さん』などの柴咲コウ、彼女の兄を『オリバーな犬』シリーズなどのオダギリジョー、彼の元妻を『ラストマイル』などの満島ひかりが演じるほか、青山姫乃、味元耀大らが出演する」と書かれています。

 ヤフーの「あらすじ」は、「突然の電話により、疎遠になっていた兄(オダギリジョー)の死を知った村井理子(柴咲コウ)。急きょ東北へ向かった彼女は兄の元妻・加奈子(満島ひかり)、その娘・満里奈(青山姫乃)と7年ぶりに再会し、彼女たちと共に故人が残した物の後始末に奔走する。ゴミ屋敷と化したアパートを片付けながら、理子はマイペースで自分勝手だった兄への文句を言い続けるが、迷惑をかけられていたはずの加奈子は『もしかしたら、理子ちゃんには、あの人の知らないところがあるのかな』と話す」です。

 原作の『兄の終い』ですが、アマゾンの内容紹介には「一刻もはやく、兄を持ち運べるサイズにしてしまおう。憎かった兄が死んだ。残された兄の元妻、娘と息子、私(いもうと)が集まり、兄の人生を終う。――怒り、泣き、ちょっと笑った数日間」として、以下のように書かれています。 「『わたくし、宮城県警塩釜警察署刑事第一課の山下と申します。実は、お兄様のご遺体が本日午後、多賀城市内にて発見されました』 寝るしたくをしていた『私』のところにかかってきた見知らぬ番号からの電話。それは、唯一の肉親であり何年も会っていなかった兄の死を告げるものだった。第一発見者は、兄と二人きりで暮らしていた小学生の息子。いまは児童相談所に保護されているという。いつかこんな日が来る予感はあった。兄は金銭的にも精神的にも、迷惑ばかりかける人だった。二度の離婚をし、体を壊し、仕事を失い、困窮した兄は、底から這いがることなく、たった一人で死んだのだった。急なことに呆然としている私に刑事は言った。 『ご遺体を引き取りに塩釜署にお越しいただきたいのです』 わかり合えなくても、嫌いきることなど、できない。どこにでもいる、そんな肉親の人生を終う意味を問う実話」

 タイトルにある「持ち運べるサイズ」とは、要するに荼毘に付した遺骨を納めた骨壺のことです。骨になった故人をオダギリジョーが演じています。柴咲コウが演じる原作者・村井理子氏の兄役ですが、彼はかなりのダメ男として描かれています。オダギリジョーはこれまでにも何度かダメ男を演じてきましたが、本作のダメっぷりは史上最悪クラスだそうです。村井理子氏も実の兄のことを厳しく描いており、わたしは「ここまで書くとは!」と思いました。わたしには、とてもできません。もちろん、最後にはホロリとさせる展開にはなっています。それにしても、です。身内の恥でも隠さない村井氏の物書きとしての覚悟には感服しました。
 
 わたしが知っているオダギリジョーがダメ男を演じた映画といえば、一条真也の映画館「湯を沸かすほどの熱い愛」で紹介した2016年の日本映画が思い浮かびます。ある銭湯を営む家族の物語です。1年前、あるじの一浩(オダギリジョー)が家を出て行って以来銭湯・幸の湯は閉まったままでしたが、双葉(宮沢りえ)と安澄(杉咲花)母娘は二人で頑張ってきました。だがある日、いつも元気な双葉がパート先で急に倒れ、精密検査の結果末期ガンを告知されます。気丈な彼女は残された時間を使い、生きているうちにやるべきことを着実にやり遂げようとするのでした。このは中野量太監督の作品で、彼は9年ぶりにオダギリジョーを使って「兄を持ち運べるサイズに」のメガホンを取り、家族という摩訶不思議なものを描いたわけです。

 オダギリジョー主演で「家族とは何か」を問うた映画といえば、一条真也の映画館「夏の砂の上」で紹介した今年7月公開の作品があります。夏の長崎。幼い息子を亡くした喪失感から心に傷を負った小浦治(オダギリジョー)は働こうともせず、妻・恵子(松たか子)とは別居していました。ある日、彼の妹・阿佐子(満島ひかり)が17歳の娘・優子(高石あかり)をしばらく預かってほしいと訪ねてきて、治と優子との共同生活が始まります。父親の愛を知らずに育った優子ですが、不器用ながらも懸命に父親の代わりを務めようとする治に次第に心を開いていくのでした。同作でオダギリジョーが演じた不器用な父親の姿は、「兄を持ち運べるサイズに」に通じるところがあります。

 葬儀の場面が見たくて鑑賞した「兄を持ち運べるサイズに」ですが、葬儀のシーンには違和感がありました。特に、宮城県塩釜の葬儀社の社員が故人の死装束の受注をしようとしたとき、柴咲コウ演じる理子が「火葬でどうせ燃やしちゃうのに...」と心の中で突っ込むところは引きました。観客で笑っている人もいましたが、葬儀社の社員がいかにも暴利を貪っているような描写は不快でしかありません。死装束といえば、この映画で故人は白帯の柔道着、白いバスローブ、純白のタキシードと白ずくめの衣装ばかり着て妹の前に姿を現しますが、それはすべて死装束のバリエーションでした。

 ラストで故人が亡くなった家に遺族が1人づつ入って、故人の幽霊と別れを惜しむシーンも「なんだかなあ...」と白けました。正直言って、冗漫な印象を受けました。それはこの映画全篇に言えることで、127分の上映時間でしたが、ちょっと長かったですね。30分短くして97分ぐらいだとちょうど良かったと思います。生前は借金を無心してくる兄に悩まされ続けた理子でしたが、「家族とは何か」と読者に問われ、「支えであり、呪縛ではない」と答えています。わたしは「家族とは迷惑をかけ合うもの」と考えていますが、家族の窮地はやはり助けるべきだと思います。兄が亡くなった後の家に入ったとき、理子が小さかったときの家族写真が壁に貼ってありました。それを見たとき、わたしは ブログ「古い家族写真」で紹介した1枚の写真を思い出しました。
わが家の古い家族写真