No.1212


 アイルランド映画「FRÉWAKA フレワカ」を小倉コロナシネマワールドで観ました。第57回シッチェス・カタロニア国際映画祭や第77回ロカルノ国際映画祭などで上映されたホラーです。映画批評サイトの「Rotten Tomatoes」では96%という高評価を獲得していますが、わたしにはビミョーでした。画面が暗く、ストーリーもわかりにくかったからです。でも、監督のインタビューを読んで、本作に込められた女性たちの悲しみの歴史を知りました。
 
 この映画は、アイルランドの美しい大地で土着の儀式とともに受け継がれてきた恐怖と、女性たちの断ち切れない痛みを描いたフォークホラーです。アイルランドの新鋭女性映画作家アシュリン・クラークが監督・脚本を手がけ、民間伝承やケルト神話に宿る祈りと呪いを現代的解釈で描き出す。クレア・モネリーが看護師シュー役で主演を務め、「イニシェリン島の精霊」のブリッド・ニー・ニーチテイン、「マグダレンの祈り」のドロシー・ダフィが共演。アイルランド語を使用して紡がれる初のホラー作品として製作されました。
 
 50年前に婚礼の夜に花嫁が忽然と姿を消した村が舞台です。半世紀後、主人公の看護師シュー(クレア・モネリー)が、村に住む老婆ペグ(ブリッド・ニー・ニーチテイン)の介護のためにこの地を訪れます。閉ざされた村で、シューは「ヤツらに気をつけなさい」と怯えるペグの言葉、どこからともなく聞こえる歌声、蹄鉄に囲まれた赤い扉、藁の被り物をした人々による謎の祝祭など、不穏な出来事に遭遇し、「見えない恐怖」に飲み込まれていくのでした。
 
 この映画は、アイルランドという国の歴史の暗部、そしてケルト神話や民間伝承に宿る「土着の畏れ」を現代的に描いています。特に、因習がもたらす恐怖、歴史の沈殿、トラウマの継承がテーマとなっており、「正しさ」や「守り」の名の下に積み重ねられてきた選択の連鎖が、世代を超えて過去を回収していく様子が描かれています。映画のタイトル「フレワカ」は、アイルランド語で「根」を意味する「フレーヴァハ」に由来しており、「決して断ち切れない女性たちの痛み」を描いているとされています。
 
 フォークホラーは、ホラー映画およびホラー小説のサブジャンルの1つで、民間伝承の要素を用いて恐怖や不吉な予感を喚起します。典型的な要素としては、田舎を舞台にし、孤立した環境を描き、迷信、民間信仰、異教、犠牲、自然の暗い側面といったテーマが挙げられます。フォークホラーについていつも思うのは、そこに潜む差別意識です。日本でも、辺鄙な地方に伝わる奇怪な風習を描いたフォークホラーは多いです。その舞台は沖縄の離島とか、中国地方の山奥(横溝正史の世界がまさにそう!)とかに伝わる異常な怪奇習俗をテーマにしたものが多く、過疎地に対する悪質な偏見であると批判する見方もあるようです。要するに、「こんな古臭い儀式を続けているのは迷信深い田舎者にほかならず、彼らは狂っているので、訪れた都会人に危害を加えるはず」という差別意識があるのでしょう。それは伝統的な儀式そのものを否定する考えです。
 
 フォークホラー映画で有名な作品は、なんといっても「ウィッカーマン」(1973年)がまず挙げられます。原始宗教息づくスコットランドの離れ小島を舞台に、ケルト人の民族学的風習に裏打ちされた怪しくもどこかのどかな物語を描いたイギリスのスリラー映画です。「ウィッカーマン」とは、ガリア戦記に記述されている柳の枝で編まれた巨大な人型の檻で、ドルイド教徒が生贄となる人間を入れて燃やしたもの。キリスト教以前のペイガニズムが信仰されるのどかな島で、熱心なキリスト教徒が異教徒に迫害される世界を描いています。ちなみに「ウィッカーマン」が公開されたのは1973年ですが、「FRÉWAKA フレワカ」においてアイルランドの花嫁が結婚式の夜に失踪したのも1973年でした。このあたりに、「ウィッカーマン」へのオマージュ、あるいは監督のリスペクトを感じますね。
 
 2015年のアメリカ映画「ウィッチ」もフォークホラー映画の代表作です。サンダンス映画祭監督賞のほか、世界各地の映画祭を席巻しました。17世紀のアメリカを舞台に、信心深いキリスト教徒の一家が、赤ん坊が行方不明になったことをきっかけに狂気に陥っていくさまを描きます。1630年のアメリカ・ニューイングランド。信仰心の篤いキリスト教徒の一家が村外れの森の近くに移り住んできます。ある日、生後間もない赤ん坊が突如姿を消します。一家に不穏な空気が流れる中、父ウィリアム(ラルフ・アイネソン)は、愛娘のトマシン(アニヤ・テイラー=ジョイ)が魔女ではないかと疑い始めるのでした。今月13日に日本公開される「ブゴニア」で主演のアニヤ・テイラー=ジョイの本格的なデビュー作ですが、すでに大女優の片鱗を見せています。
 
 そして、最も「FRÉWAKA フレワカ」と雰囲気が似ているのが、一条真也の映画館「ミッドサマー」で紹介した2019年のサイコロジカルホラー映画です。アメリカの大学生グループが、留学生の故郷のスウェーデンの夏至祭へと招かれますが、のどかで魅力的に見えた村はキリスト教ではない古代北欧の異教を信仰するカルト的な共同体であることを知ります。この村の夏至祭は普通の祝祭ではなく人身御供を求める儀式であり、白夜の明るさの中で、一行は村人たちによって追い詰められてゆくのでした。舞台となったスウェーデンのホルガ村には奇妙な風習や儀式が残っており、90年に1度行われる祝祭では老若男女を問わずに人々が白の衣装を着て踊り続けます。この白い衣裳、かつてのオウム真理教やパナ・ウェーヴの信者のように見えないこともありませんが、葬儀での死装束やお遍路の格好を見てもわかるように、「白」は異界に続く色なのです。
 
 日本を代表するフォークホラー映画といえば、「犬神家の一族」(1976年)をはじめとする一連の横溝正史シリーズや、一条真也の映画館「犬鳴村」「樹海村」「牛首村」で紹介した清水崇監督による映画「恐怖の村」シリーズなどもありますが、最も怖いのは 一条真也の映画館「鬼婆」で紹介した1964年の新藤兼人作品でしょう。「FRÉWAKA フレワカ」のアシュリン・クラーク監督も、フォークホラーの名作として「鬼婆」の名を挙げています。この映画は仏教説話が元になっており、14世紀の日本の田舎の村が舞台になっています。乙羽信子と吉村実子が主演しており、彼女たちの演じる役は通りかかった侍を殺し、身に着けているものをすべて剥いで、死体を深い穴へ捨てる女とその義理の娘です。南北朝時代、戦乱により男手を失い餓えた2人の女(姑と嫁)は、殺した落武者から武具を奪って売りさばくことで糊口をしのいでいました。ある嵐の夜、落武者から剥ぎ取った般若面をつけた姑に異変が起こります。
アシュリン・クラーク監督(映画.com)
 
 
「映画.com」がアシュリン・クラーク監督にインタビューしていますが、「本作で描かれている信仰の中で、実際に地域の神話に基づいているものはありますか?」という質問に対して、「これらの物語には様々なバージョンが存在し、私もいくつか自分なりに新しい要素を加えました。特に、民俗的な儀式と診断可能な障害との境界を曖昧にしたことなどです。例えば、老女ペグの衝動的に数を数えてしまう行動は、守りの儀式でもあり、強迫性障害でもあります。そもそも全ての迷信は、問題に対処するための仕組みなのではないでしょうか? ですから、厳密に神話に基づいているわけではありませんが、根本的な部分や精神的な部分は同じになります」と答えています。この発言を読んで、わたしは儀式とは「こころ」を守るワザであり、たとえ迷信であっても問題に対処するための仕組みであるというクラーク監督の考えに深く共鳴しました。
 
 また、「本作では、トラウマに影響されている家族が描かれています。そうした痛みを表現する上で、監督が苦心した点を教えてください」という質問に対しては、「他の国でもそうですが、現代のアイルランドでは、私たちは精神的な問題や、薬物依存、アルコール依存、そして驚くべき自殺率に直面しています。ここアイルランドでは、これらは完全に解決されないまま続いてきた歴史的なトラウマ、例えば、北アイルランド問題、マグダレン洗濯所という負の遺産、組織的な児童虐待スキャンダル、独立戦争と内戦、そして飢饉などの結果だと言えるでしょう。このような問題は次から次へと出てきました。そして、アイルランドはいまだに、それらにきちんと向き合わないまま進んでいます。世代間のトラウマが多く存在し、トラウマを抱えた親から子どもたちへと受け継がれ、その子たちもトラウマを抱え始めるのです。映画でそうしたテーマに取り組もうと決めたなら、できる限り"重く"描く責任があります。つまり、事実に即したものである必要があると思うのです」と答えています。
 
「マグダレン洗濯所」というのは、わたしは知りませんでした。18世紀から20世紀後半にかけて実在した修道院施設。レイプ被害女性や未婚の母など「堕落した女」たちを強制収容し虐待、洗濯などの無給労働を強いた。「マグダレンの祈り」(2006年)、「決断する時」(2005年)など映画化もされています。映画ライターの渥美志保氏によるインタビューでは、クラーク監督は「『マグダレン洗濯所』が1996年まで現存していましたし、カトリックが帝王切開を嫌うために、分娩において何も知らされずに「シンフィジオトミー(恥骨結合切断手術)」を施され、修復不能な障害を負った女性も多くいます。こうしたことはまさに「女性の抑圧」の最たるものです。アイルランドにおける最大のトラウマは、女性たちが味わった痛みと苦しみであり、私にとってはそれこそが、他の何よりもまず一番の課題でした」と語っています。
 
 シンフィジオトミー(恥骨結合切断手術)とは、分娩の際に、恥骨結合部の軟骨と靭帯(時には骨盤の骨自体)を切断することです。渥美志保氏によれば、「20世紀半ば以降、他のヨーロッパ地域ではほぼ行われなくなったが、アイルランドでは1940~80年代にかけて推定1500人の女性に実施された。通常の出産は、恥骨結合部分の靭帯の伸縮によって行われるが、それが困難な場合でも帝王切開となるが、『分娩の痛み』を『原罪に対する罰』と捉えるカトリックでは帝王切開への嫌悪もある」といいます。渥美氏が「映画のラストシーンは『結婚』によって一変する女性の人生、全く異なる世界で生きるハメになることのメタファにも思えました」と言うと、クラーク監督は「ええ、まさにそれこそが私の解釈です」と語っています。
 
 また、「アイルランドでも結婚する若い女性はどんどん減っていてますが、自分の母親や祖母がどんな経験をしてきたかを見れば、そういう気持ちになるのも理解できます。長い間、結婚が女性の唯一の選択肢であるかのように言われてきましたが、今ではそうではありません。特にアイルランドの歴史ーーごく最近の歴史において、結婚は女性にとって常に選びたくない選択肢だったと思います。アイルランドの女性は結婚すると全ての権利を奪われ、子供の親権も、婚家における権利も与えられず。その上、1995年までは離婚は違法で、逃げ道のない虐待のような結婚生活に閉じ込められていたんです。私の母の世代もそうでしたし、私の世代もそういう感覚は共有していると思います」と語るのでした。わたしもブライダルの仕事をしていますので「結婚」にはもちろん肯定的な考えを持っていますが、人類における「結婚」の歴史は苦痛の源泉であったという考えを知って、ちょっと気分が落ち込みました。
 
 最後に、「この作品は『ミッドサマー』などと同じフォークホラーと言われる作品ですが、そのジャンルの最近の流行についてなにか思うところはありますか?」という渥美氏の質問に対して、クラーク監督は「フォークホラーが注目を集めるのは、現代が非常に不確実な時代だからだと思います。15年、20年、30年前の時代、私たちは『どう生き、どう前進していくべきか』をより理解していました。社会の『最良の形』にたどり着き、まだ問題は残るものの、コントロールができていたんです。ところが今は、ほとんどすべてのことが悪い方向にいっている。世界中でタガが外れた、非常に奇妙で恐ろしい時代です。そんな中でフォークホラーは、自然の法則、秩序、構造があり、古代の神話や信仰の枠組みの中で、していいこととしてはいけないことが明快だった時代を彷彿とさせます。そこに誰もがある種の心地よさを感じるのだと思います。観客がホラーに求めるのは、実は心地よさだと思うし、そういうことで流行していのんだと思います」と語っています。この考えには異論もありますが、「観客がホラーに求めるのは、実は心地よさ」という発言には膝を打ちました。確かに、そうかもしれませんね。ホラー映画を観るほど楽しいことはありませんから。