No.1241


 3月25日は映画撮影の打ち合わせの後に、アイルランド映画「決断するとき」をTOHOシネマズシャンテで鑑賞。ものすごくモヤモヤする映画でした。アカデミー賞に「モヤモヤ賞」というのがあったら確実に受賞すると思います。

 ヤフーの「解説」には、こう書かれています。
「アイルランドに実在した修道院で起きた事件に基づくクレア・キーガンの小説『ほんのささやかなこと』を実写化したドラマ。ある修道院を訪れた炭鉱商人の男性が、そこで過酷な状況に置かれている女性たちの姿を目撃し、ある行動に出る。メガホンを取るのは『スティーヴ』などのティム・ミーランツ。『オッペンハイマー』などのキリアン・マーフィ、『追想』などのエミリー・ワトソン、『マグダレンの祈り』などのアイリーン・ウォルシュのほか、サラ・デヴリン、ミシェル・フェアリーらが出演する」
 
 ヤフーの「あらすじ」は、「1985年。アイルランドの小さな町で、妻のアイリーンと5人の娘に囲まれながら、平穏で慎ましい日々を送る炭鉱商人のビル・ファーロング(キリアン・マーフィ)。クリスマスが近づく中、仕事でシスター・メアリー(エミリー・ワトソン)が院長を務める地元の修道院を訪れたビルは、そこに身を置く女性たちの過酷な状況を目にする。一人の少女から助けてほしいと懇願され、一旦は修道院での出来事をなかったことにしようと考えるビルだったが、強い罪悪感を覚える」となっています。
 
 原作小説であるクレア・キーガンの『ほんのささやかなこと』(早川書房)のアマゾン内容紹介には、「1985年、アイルランドの小さな町。 クリスマスが迫り、寒さが厳しくなるなか、石炭と木材の商人であるビル・ファーロングは最も忙しい時期を迎えていた。 ある日、石炭の配達のために女子修道院を訪れたファーロングは、『ここから出してほしい』と願う娘たちに出くわす。修道院には、未婚で妊娠した娘たちが送り込まれているという噂が立っていたが──隠された町の秘密に触れ、決断を迫られたファーロングは、己の過去と向き合い始める」と書かれています。
 
「マグダレン洗濯所」の存在を初めて知ったのは最近のことで、一条真也の映画館「FRÉWAKA フレワカ」で紹介した先月6日に日本公開されたアイルランド映画を観たことがきっかけでした。同作は、アイルランドの美しい大地で土着の儀式とともに受け継がれてきた恐怖と、女性たちの断ち切れない痛みを描いたフォークホラーです。アイルランドの新鋭女性映画作家アシュリン・クラークが監督・脚本を手がけ、民間伝承やケルト神話に宿る祈りと呪いを現代的解釈で描き出します。50年前に婚礼の夜に花嫁が忽然と姿を消した村が舞台です。半世紀後、主人公の看護師シュー(クレア・モネリー)が、村に住む老婆ペグ(ブリッド・ニー・ニーチテイン)の介護のためにこの地を訪れます。閉ざされた村で、シューは「ヤツらに気をつけなさい」と怯えるペグの言葉、どこからともなく聞こえる歌声、蹄鉄に囲まれた赤い扉、藁の被り物をした人々による謎の祝祭など、不穏な出来事に遭遇し、「見えない恐怖」に飲み込まれていくのでした。

「FRÉWAKA フレワカ」を観るまで、わたしは「マグダレン洗濯所」の存在についてまったく知りませんでした。18世紀から20世紀後半にかけて実在した修道院施設です。レイプ被害女性や未婚の母など「堕落した女」たちを強制収容して虐待し、洗濯などの無給労働を強いた施設です。「マグダレンの祈り」(2006年)などで映画化もされています。映画ライターの渥美志保氏によるインタビューでは、アシュリン・クラーク監督は「『マグダレン洗濯所』が1996年まで現存していましたし、カトリックが帝王切開を嫌うために、分娩において何も知らされずに「シンフィジオトミー(恥骨結合切断手術)」を施され、修復不能な障害を負った女性も多くいます。こうしたことはまさに「女性の抑圧」の最たるものです。アイルランドにおける最大のトラウマは、女性たちが味わった痛みと苦しみであり、私にとってはそれこそが、他の何よりもまず一番の課題でした」と語っています。
 
 シンフィジオトミー(恥骨結合切断手術)とは、分娩の際に、恥骨結合部の軟骨と靭帯(時には骨盤の骨自体)を切断することです。渥美志保氏によれば、「20世紀半ば以降、他のヨーロッパ地域ではほぼ行われなくなったが、アイルランドでは1940~80年代にかけて推定1500人の女性に実施された。通常の出産は、恥骨結合部分の靭帯の伸縮によって行われるが、それが困難な場合でも帝王切開となるが、『分娩の痛み』を『原罪に対する罰』と捉えるカトリックでは帝王切開への嫌悪もある」といいます。渥美氏が「映画のラストシーンは『結婚』によって一変する女性の人生、全く異なる世界で生きるハメになることのメタファにも思えました」と言うと、クラーク監督は「ええ、まさにそれこそが私の解釈です」と語っています。

 驚愕のラストが待っている「FRÉWAKA フレワカ」と違い、「決断するとき」は大きな起伏のない物語です。主人公ビル・ファーロングは修道院に出入りする石炭商ですが、ある少女から助けを乞われます。その少女はサラといいました。ビルは、自身の少年時代にもサラという女性が亡くなった現場を見るというトラウマを抱えており、それもあって何とかサラを助けてあげたいと思います。キリアン・マーフィが演じるビルは、本当に何の力もない小市民です。そんな小市民が「小さな正義」を示す物語が映画「決断するとき」です。しかし、ラストで彼が発揮した勇気は何の解決策にもならず、サラも救えず、かえって事態を悪化させるだけだと思いました。だから、観客はモヤモヤするのです。

 キリアン・マーフィといえば、一条真也の映画館「オッペンハイマー」で紹介した2023年のアメリカ映画で主演男優賞に輝きました。あの作品は、広島と長崎に投下された原爆を開発した科学者の人生を描いていました。内容は日本人のグリーフを無視したものであり、このような映画がアカデミー作品賞を受賞した事実によって、日本人はセカンド・グリーフを負ったように思えてなりません。アカデミー賞の審査員たちには、「ポリコレとか多様性とか言う前に、もっと大事なことがあるだろう!」と叫びたかったです! わたしには、「決断するとき」で「小さな正義」を行った主人公を演じたマーフィは、オッペンハイマーという「大きな悪」を生み出した人物を演じたことへの贖罪のように思えました。