No.1317
東京に来ています。7月23日の夜、台湾・日本合作映画「シンシン アンド ザ マウス/SINSIN AND THE MOUSE」をシネスイッチ銀座で観ました。最終日の最終上映でした。グリーフケアを描いた作品と聞いていたので観たのですが、確かに"ザ・グリーフケア・ムービー"という内容でした。でも、わたしの心には響きませんでしたね。
ヤフーの「解説」には、こう書かれています。
「『キッチン』の原作などで知られる吉本ばななの短編小説集「ミトンとふびん」に収められた一編を映画化。母を失い喪失感を抱えた女性が旅先で一人の青年に出会い、彼との交流を通じて光を見つける。監督は『ボクは坊さん。』などの真壁幸紀。母を亡くした女性を『ケイコ 目を澄ませて』などの岸井ゆきの、彼女が台湾で出会う青年を『霧のごとく』などのツェン・ジンホアが演じるほか、藤原季節、中田青渚、柄本時生、余貴美子らが共演する」
ヤフーの「あらすじ」は、「母を亡くし、喪失感を抱えたまま日々を過ごす光岡ちづみ(岸井ゆきの)。あるとき友人の勧めで訪れた台湾で、彼女は台湾人の母と日本人の父を持つ青年・シンシン(ツェン・ジンホア)と出会う。見知らぬ土地の風景や、彼と何げない会話を交わす中で、悲しみに閉ざされていたちづみの心が少しずつ動きだしていく」です。
この映画、台湾観光よろしく台北のいろんなお店が紹介されます。数日間の物語と思いきや、じつはそんなに時間が経過していなくて、せいぜい2泊3日でしょうか。岸井ゆきの演じる主人公・ちづみとツェン・ジンホア演じるシンシンが出会ってからは1日のあいだの出来事が描かれています。3ヵ月前に母を亡くしたちづみ、2年前に祖父を亡くしたシンシンとの間に恋が生まれるわけですが、ちょっと恋愛に発展するスピードが速すぎて、これでは「一夜のアバンチュール」と言われても仕方がありません。グリーフを抱えた2人の「悲縁」を中心に据えるなら、恋愛は余計だったと思います。恋愛という不純物が入ったおかげで、グリーフケアの色彩が薄まってしまい残念でした。
あと、シンシンは東京の渋谷区に住んでいるという設定なのに、日本語がたどたどし過ぎました。たどたどしいというか、カタコトというか、ほとんど意味がわからない言語を音だけ暗記したという印象です。最初こそ、カタコトの日本語がシンシンの誠実な人間性を表現している部分もありましたが、ずっとカタコトでは観客が疲労してしまいます。原作にも登場しるのであろうセリフ自体は素敵な言葉なのに、それを口にするシンシンの言葉には心が感じられませんでした。
物語は、ちづみに一目惚れしたシンシンが彼女をたどたどしい日本語で口説き続けます。それをちづみはスルーし続けるのですが、あるシンシンの一言で、2人の間にあった壁を取り除くことになります。そのシンシンの一言はネタバレになるので書きませんが、わが社の経営理念である「人間尊重」の基本となる内容でした。こういう言葉を聴いたら、相手はコンパッションを抱かずにはいれれないと思います。ただ、2人が台北デートのときに食べた「釈迦頭」というスイーツや、本作において大切な舞台であったはずのライヴ会場が一切映らなかったのは不満でした。
しかし、主演の岸井ゆきのは良かったです。高校時代に山手線の中でスカウトされたという彼女は、2009年、ドラマ「小公女セイラ」(TBSテレビ)で役者デビュー。2016年、NHK大河ドラマ「真田丸」で大河ドラマに初出演。真田信繁の側室・たか役を演じました。2017年、フジテレビドラマ「十九歳」で民放ドラマ初主演。同年、一条真也の映画館「おじいちゃん、死んじゃったって。」で映画初主演。同作で第39回ヨコハマ映画祭最優秀新人賞を受賞。 2018年後期のNHK連続テレビ小説「まんぷく」で朝ドラに初出演。2020年、映画「愛がなんだ」で第43回日本アカデミー賞新人俳優賞を受賞。2022年、主演映画「ケイコ 目を澄ませて」で第77回毎日映画コンクール女優主演賞、第46回日本アカデミー賞最優秀主演女優賞を受賞。2024年、NHK総合・土曜ドラマ「お別れホスピタル」でゴールデンプライムタイムの連続ドラマ単独初主演と、大躍進が続いています。
本作は主人公の女性が母親を亡くしたことによってグリーフを抱きます。台北のホテルの置物を見ても、寺院の仏像を見ても、亡き母を思い出してしまう彼女の深い悲嘆が伝わってきますが、原作者が吉本ばなな氏というのが驚きです。というのも、最近、吉本氏は自身のnoteで、母親からの虐待や、姉との共依存的な関係についてかなり踏み込んで書いているからです。その内容を受けて、吉本氏のことを「毒親サバイバー」と表現する人もいるようです。
一般的に「毒親」と呼ばれるのは、子どもの心や生活に長く悪影響を与える親のことを指します。母親から虐待されていたという吉本氏が母親を亡くしたグリーフの物語を書くというのは、「こんなお母さんだったら良かった」的な理想を反映したのかもしれませんが、いずれにしても作家の凄みというものを感じてしまいます。


