No.1308


東京から北九州に戻った7月10日の夜、この日から公開のオーストラリア映画「ブリング・ハー・バック」をローソン・ユナイテッドシネマ小倉で観ました。「戦慄の儀式体験ホラー」というだけあって、儀式バカ一代としては意気込んで鑑賞しましたが、「どこに儀式があるの?」といった感じで肩透かしを食らってしまいました。
 
 ヤフーの「解説」には、「父親が他界し里親に引き取られた兄妹が体験する恐怖を描くホラー。父親に先立たれたある兄妹が里親のもとで新たな暮らしをスタートさせるが、ある日を境にその家で不可解な出来事が次々と起こり始める。監督などを手掛けるのは『TALK TO ME トーク・トゥ・ミー』などのダニー、マイケル・フィリッポウ兄弟。『クレーターをめざして』などのビリー・バラット、ソラ・ウォンのほか、サリー・ホーキンス、ジョナ・レン・フィリップスらがキャストに名を連ねる」と書かれています。

 ヤフーの「あらすじ」は、以下の通りです。
「アンディ(ビリー・バラット)と目の不自由なパイパー(ソラ・ウォン)兄妹は、父親を亡くしたことから里親ローラ(サリー・ホーキンス)のもとで暮らすことになる。そこでは言葉を発さないオリヴァー(ジョナ・レン・フィリップス)もローラと一緒に生活していた。自分たちにありえないほどの愛情を注ぐローラに違和感を覚えながらもアンディたちは新たな生活になじもうとする」
 
 ダニー、マイケル・フィリッポウ兄弟の前作が一条真也の映画館「TALK TO ME/トーク・トゥ・ミー」で紹介した2023年のオーストラリア映画です。サンダンス映画祭で上映されたホラーですが、これは傑作でした。母を亡くした女子高生・ミアは友人たちに誘われ、SNSで流行している降霊術「♯90秒憑依チャレンジ」に参加します。呪物の「手」を握り、「トーク・トゥ・ミー」と唱えると霊が取り憑くというもので、その「手」は90秒以内に離さなくてはならないという。挑戦した若者たちはそのスリルや快感にはまり、ゲーム感覚で繰り返していくが、ミアの友人の1人にミアの母親の霊が降りてくるのでした。この「TALK TO ME/トーク・トゥ・ミー」こそは「儀式体験ホラー」と呼ぶにふさわしい内容でした。
 
「TALK TO ME/トーク・トゥ・ミー」の主人公が母を亡くした女子高生なら、「ブリング・ハー・バック」の主人公は父を亡くした兄妹です。ともに親を失うという喪失感を抱いた者が恐怖体験をする物語ですが、「ブリング・ハー・バック」の方はどこに売り物の「儀式」が登場するのかわかりませんでした。「"禁断の儀式"の全貌が明らかに・・・」というYouTube動画を見ると、手順1「ビデオを観る」、手順2「円を描く」、手順3「雨が降るのを待つ」となっています。確かにそれらのシーンは本作に登場しましたが、それぞれバラバラの行為であり、とても一貫した儀式の手順とは言えません。なんだか「儀式詐欺」に遭ったような気分で悲しいです。それでも、父親の葬儀の場面は詳しく描かれていたので、良しとしましょう。結局、死別のグリーフをケアする最大の儀式とは葬儀にほかなりません。
 
 父親を亡くしたアンディ(ビリー・バラット)と目の不自由なパイパー(ソラ・ウォン)兄妹は、ローラ(サリー・ホーキンス)という中年女性を里親として、彼女の家で暮らすことになります。このサリーも、当時12歳の娘がプールで溺死するというグリーフを抱えて生きていました。つまり、悲嘆者が悲嘆者の里親になったわけですが、その悲嘆があまりにも深い場合は人を狂わせてしまうという物語でした。父親がシャワーを浴びている最中に死亡したアンディは、自身もシャワーを浴びているときに父親の幽霊を見て錯乱します。実際の幽霊なのか、トラウマが幻を見せたのか・・・・・・それはわかりませんが、いかにもありそうな話だと思いました。本作のシャワーのシーンを観ながら、わたしは「そういえば中山美穂さんも入浴中に事故死したんだよなあ」と思い出し、悲しい気分になりました。

 シャワーにプールと、本作は水のイメージに満ちていますが、雨もよく降りました。じつは禁断の儀式を完成させるためには、空のプールを雨水で満たす必要があったのです。「雨」は、単なる気象現象ではなく、霊魂や意思を持つ神聖な存在として捉えられています。雨は豊かな収穫をもたらす一方で、暴風雨のように生活を脅かす力を持ち、畏怖の対象でもあります。雨は恵みをもたらす生命の源であると同時に、時に恐怖を感じさせる異界の力ともみなされるのです。雨は植物や作物を育てる不可欠な恵みであり、精霊の恩恵として崇拝の対象となります。また、雨は霊的な意識を持った存在として扱われます。日本においては、風雨は自然の中に神を見出す神道(自然信仰)の文脈で、雷などとともに神霊のあらわれとして崇められました。雨が降ると、異界(霊的な世界)の気配を感じ、精霊や神の力が近付いてくると認識されることがあります。
この映画では、雨がよく降りました。雨が激しく降ると、わたしは自然と死者のことを考えてしまいます。おそらく、雨音には心の奥の深い部分を刺激する何かがあるのかもしれません。わたしは、本作の雨のシーンを観ながら、孔子のことを思いました。よく知られているように、孔子は儒教を開きました。儒教の「儒」という字は「濡」に似ていますが、これも語源は同じです。ともに乾いたものに潤いを与えるという意味があります。すなわち、「濡」とは乾いた土地に水を与えること、「儒」とは乾いた人心に思いやりを与えることなのです。孔子の母親は雨乞いと葬儀を司るシャーマンだったとされています。雨を降らすことも、葬儀をあげることも同じことだったのです。雨乞いとは天の「雲」を地に下ろすこと、葬儀とは地の「霊」を天に上げること。その上下のベクトルが違うだけで、天と地に路をつくる点では同じです。
 
 雨と霊を描いたホラー映画といえば、わたしの心には1本の映画のタイトルが浮かんできます。もう何回か観ている作品ですが、"Seance on a Wet Afternoon"という1964年製作のイギリス映画です。日本では、「雨の午後の降霊祭」というタイトルです。内容を簡単に説明すると、心霊術師の夫婦が綿密な計画を基に少女誘拐を実行するというサスペンス映画です。ロンドンの街はずれに住む女心霊術師と、その夫は毎水曜日の午後、会員を集めて降霊祭をやっていました。2人には数年前、生まれたばかりの男の子を亡くすという経験がありました。それ以来、傷心の妻が心霊術に打ち込むようになったのでした。雨の日、降霊祭が終わってから、夫婦は前々から計画中だった少女誘拐計画の仕上げを急ぎます。これ以上ストーリーを書くとネタバレになるのでやめておきますが、とにかく震え上がるほど怖い映画です。いや、ほんとに!
 
 Jホラーの巨匠である黒沢清監督に「降霊」という作品があります。これも非常に怖い映画で、わたしは自分のHP内にある「私の20世紀」の中の「20本の邦画」で最後の一本に選んだくらい完成度の高い作品です。その「降霊」は、じつは「雨の午後の降霊祭」のリメイクなのでした。一条真也の映画館「こわい映画を求めて」にも書いたように、わたしは大のホラー映画ファンです。そのわたしから見て、日本映画史上で「降霊」が最も怖い映画なら、世界映画史上では「雨の午後の降霊祭」が最も怖い映画だと思います。何がそんなに怖いのかというと、この映画を観ると、「幽霊とは何か」という問題を通して「人間とは何か」、そして「存在とは何か」という実存主義にも通じる存在論的恐怖を感じてしまうからです。「雨の午後の降霊祭」も「降霊」もともにDVDが発売されていますので、興味がある方はぜひ御覧下さい。