No.1315
7月18日、東京から北九州に戻りました。17日公開のアメリカのホラー映画「オブセッション 災愛」をTOHOシネマズ日本橋で観ました。全米では「E.T.」以来44年ぶりの快挙となる大ヒットを記録したという話題作ですが、日本橋の3番シアターも1つの空席もない満席状態でした。けっしてわたしの好みではありませんが、じつに良く出来たホラー映画であると思いました。
ヤフーの「解説」には、こう書かれています。
「内気な青年が恋する相手の心をつかむために不気味なまじないにすがる姿を描くホラー。思いを寄せる女性に接近するため、青年がある禁じられた手段に手を伸ばす。監督を務めるのはカリー・バーカー。『クルーガー 絶滅危惧種』などのマイケル・ジョンストン、ドラマシリーズ「スーパーマン&ロイス」などのインディ・ナヴァレッテのほか、クーパー・トムリンソン、メーガン・ローレスらが出演している」
ヤフーの「あらすじ」は、以下の通りです。
「内向的な性格のベア(マイケル・ジョンストン)は、ニッキー(インディ・ナヴァレッテ)に好意を抱いていた。彼女に近づきたいがためにベアは、願いをかなえるという不吉なまじない『ワン・ウィッシュ・ウィロー』に手を出してしまう。それ以来彼の生活は少しずつおかしくなっていき、ニッキーへのベアの純粋な好意はやがて執着へと変化する」
本作を観て、まず思ったことは「ベアが被害者みたいに描かれているけど、本当の被害者はニッキーじゃないか」です。そもそも、変なまじまいの力を借りて意中の女性と交際するというのは、薬を悪用するデート・レイプと変わらない気がします。ピュアな状態で相手と恋愛しているわけではないからです。ベアを「ドラえもん」ののび太に例えているレビューも散見しますが、そんな可愛げのあるものではありません。でも、ベアがそこまで悪いかというと、彼も悪気はなかったわけで、単に巻き込まれただけという見方もできます。でも、それなら彼はもっと早くニッキーとの関係を断つ必要があった。わたしは、そのように思います。
ベアは、ワン・ウィッシュ・ウィローに「ニッキーが自分を好きになりますように」という願い事をします。しかし、それはベアにとっては「願い」であり「祈り」であっても、ニッキーにとっては「呪い」にほかなりませんでした。ニッキーの中には何か別の存在が入り込み、彼女の精神と肉体を支配します。ときどき素の自分に戻るのですが、ニッキー自身が何者かに憑依されていることを自覚しています。奇行を繰り返すニッキーの姿は、ホラー映画の金字塔である「エクソシスト」(1973年)に登場する悪魔に憑依された少女レーガンを彷彿とさせました。
多くのレビュアーも指摘していますが、本作はイギリスの小説家W・W・ジェイコブズによる短編ホラー小説「猿の手」をモチーフとしています。「猿の手」は怪奇小説の古典であり、多数のアンソロジーに収録されています。また、さまざまな形で後世の作品に影響を与え続けています。1902年にジェイコブズ短編集『遊覧船の貴婦人』にて発表されましたが、この物語は「3つの願い」という伝統的なおとぎ話の暗いパロディとなっています。日本では1956年に早川書房の『世界探偵小説全集』の1冊として刊行された『幻想と怪奇 英米怪談集 第2』に収録されています。また、1969年には創元推理文庫の『怪奇小説傑作集1』にも収録されました。1971年には小学生向け学習誌の付録にもなり、多くの日本人がこの話を知っています。
もちろん男ならば誰でも「可愛い子に好かれたい」「美女から愛されたい」と思うものです。でも、適切な距離を見失ってしまえば、それは恐怖でしかありません。わたしは、一条真也の映画館「トゥギャザー」で紹介した今年2月に日本公開したアメリカ・オーストラリアのホラー映画を連想しました。同作に登場するカップルは身体がくっついてしまい、物理的距離がゼロになってしまいます。「オブセッション 災愛」のニッキーはベアとの精神的距離をゼロにしようとするわけですが、ともに観客に不安と恐怖を与えます。しかし、「適切な距離とは何か?」「恋愛において適切な距離などというものがあるのか?」ということを考えた場合、恋愛そのものがホラーであるという考えが生まれてしまうのでした。


