No.675
2月10日の夜、この日から公開された映画「バビロン」をシネプレックス小倉のレイトショーで観ました。3時間強の大作ですが、賛否両論で評価は分かれています。わたしは、すごく面白かったです。映画愛に溢れていて深く共感しましたし、夢中で観ているうちにあっという間に時間が過ぎました。ただ、一条真也の映画館「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド」で紹介した映画と同様に、映画史の知識があった方が楽しめる作品だとも思いました。
ヤフー映画の「解説」には、こう書かれています。
「『セッション』『ラ・ラ・ランド』などのデイミアン・チャゼル監督が、1920年代のハリウッド黄金時代の内幕を描いたドラマ。サイレント映画の大スター、大胆不敵な新人女優、映画製作を夢見る青年が、サイレントからトーキーへと移り変わる激動の時代を生きる。出演は『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』などのブラッド・ピットや『スーサイド・スクワッド』シリーズなどのマーゴット・ロビーのほか、ディエゴ・カルバ、トビー・マグワイア、キャサリン・ウォーターストン、オリヴィア・ワイルドなど」
ヤフー映画の「あらすじ」は、以下の通りです。
「1920年代のアメリカ・ハリウッド。スターを夢見る新人女優のネリー(マーゴット・ロビー)と映画製作を目指す青年マニー(ディエゴ・カルバ)は、大スターのジャック(ブラッド・ピット)が開いたパーティーの会場で出会い、親しくなる。恐れを知らないネリーはスターへの階段を駆け上がり、マニーもジャックの助手となる。そのころ、映画業界はサイレント映画からトーキー映画への転換期に差しかかっていた」
ネタバレにならないように注意深く書くと、この映画の冒頭にはある動物が登場します。それだけでも結構インパクトがあるのですが、その動物の行動が巻き起こすハチャメチャぶりにはもうぶっ飛んでしまいます。「開始早々、こんな凄いシーンが流れるとは!」と度肝を抜かれました。物語は、そのまま映画関係者で富豪のパーティーの場面に移ります。このパーティー会場の様子が、悪徳と悪趣味が渦巻いたトンデモないもので、もうドンチャン騒ぎの極みと言えます。そう、ここで騒いでいる連中は、いわゆる「ジャズ・エイジ」そのものなのです。ジャズ・エイジとは、「狂騒の20年代」と呼ばれるアメリカ合衆国の1920年代の文化・世相を指す言葉ですね。第1次世界大戦が終結し、ジャズが時代の流行の音楽となり、享楽的な都市文化が発達した時代です。大量消費時代・マスメディアの時代の幕開けでもありましたが、1929年の世界恐慌により終焉を迎えました。
「ジャズ・エイジ」はフランスの「レ・ザネ・フォル」に相当しますが、F・スコット・フィッツジェラルドの『ジャズ・エイジの物語』(1922年)に由来するとされています。そのフィッツジェラルドの代表作といえば、『グレート・ギャツビー』(1925年)ですね。まさに、ジャズ・エイジの時代を描いています。1974年、2000年、2013年と3回映画化されていますが、一条真也の映画館「華麗なるギャツビー」で紹介した2013年版では、レオナルド・ディカプリオが主演。ニック(トビー・マグワイア)が暮らす家の隣には宮殿のような豪邸が建っていました。そこには謎の若き大富豪ジェイ・ギャツビー(レオナルド・ディカプリオ)が住んでおり、彼は毎晩のように盛大なパーティーを開きます。ギャツビーと言葉を交わす仲になったニックの心の中では、次第にギャツビーの正体についての疑問が大きくなっていくのでした。
映画「バビロン」では、乱痴気騒ぎのパーティー会場からサイレント映画の撮影現場へ。ここは世界最高の魔法の場所であると同時に、世界で最もイカれた狂気の場所でもありました。なにしろ、戦争映画の合戦シーンでは、殺気立ったエキストラたちが本当に殺し合うのです。その撮影現場には3人の人物が登場します。1人は、「サイレントの王様」と呼ばれた大物俳優のジャック・コンラッド(ブラッド・ピット)、もう1人はニュージャージーの田舎から出てきた新人女優ネリー・ラロイ(マーゴット・ロビー)。さらにもう1人は、物語の語り部となる映画人を目指すメキシコ人青年マニー(ディエゴ・カルバ)です。サイレントからトーキーへと轟音を立てて変化する映画界で、3人の運命が交錯します。彼らは、ハリウッドという「夢工場」の業界のバラ色の表舞台とドス黒い裏舞台で生き抜いていくのでした。
「バビロン」では、ブラッド・ピットも、ディエゴ・カルバも素晴らしい演技を見せてくれましたが、なんといってもマーゴット・ロビーが最高でした。何パターンもの泣き方をこなすシーン、飲み過ぎてセレブたちの前でゲロを吐くシーンなどには「これぞ女優魂!」と感動さえおぼえました。彼女が演じたネリーは「大スターになる」と自信満々で、尋常でないスピードでスターダムを駆け上がっていきます。現在32歳のマーゴット・ロビーは全盛期を迎えていると言ってもいいと思います。一条真也の映画館「アムステルダム」で紹介した映画を観たときも「マーゴット・ロビーって、こんなに綺麗な女性だったっけ!」と驚きましたが、今回も彼女が放つ美のオーラと爆発的なエネルギーはハンパではありませんでした。彼女が下着を身につけずにデニムのサロペット姿をしたシーンは、同様のショットが写真集に掲載されて話題になった元乃木坂46の白石麻衣を連想しました。白石麻衣ちゃんは現在30歳ですが、これからも女優を続けるなら、マーゴット・ロビーを目標にするといいかもしれないと思いました。
映画「バビロン」の脚本を初めて読んだとき、マーゴット・ロビーは「『絶対にやらないと。この役は私のものよ』って。あまりの熱意に、私のチームが少し懸念したほどよ」とネリーの生き様に魅了されたことを明かしました。ネリーのモデルとして大部分を占めたのは、クララ・ボウだとされています。1920年代に創設されたアカデミー賞の第1回作品賞を受賞した「つばさ」にも出演している名女優であり、サイレント映画時代の最大のセックス・シンボルとしても愛された女性です。彼女を意識することはネリーという役柄を理解する上で大きな助けとなったというロビーは、「クララ・ボウは、おそらくこれまで聞いた中で最もひどい子ども時代を過ごした人だと思う。クララの両親は彼女のために出生証明書を取得しなかった。すでに2人の子どもを亡くしていて、彼女も生き長らえると思わなかったから。それを読んだとき、ネリーというキャラクターを理解できるようになった。この地球で過ごす日々はいつ終わってもおかしくないと感じていたから、毎日全力で立ち向かっていたのだと想像できたの」と、クララの人生に共感して熱く語っています。
クララは、父親がアルコール依存症、母親は精神疾患を患っており、時折売春婦まがいのことをして金を稼ぐという非常に貧しい家庭に生まれました。子供の頃は汚い格好をしていたため、女の子達は遊んでくれずにいつも男の子達と遊んでいたといいます。また、父親から性的虐待の被害に遭ったともいいます。クララはその中から這い上がるため、女優になることに望みをかけるようになりました。ティーンエイジャーの時に雑誌の美人コンテストで優勝、1922年に映画デビューのチャンスをつかみます。しかしその作品「虹の大空」ではクララの出演したシーンはすべてカットされ、同年の「船に打ち乗り海原指して」でデビュー。女優は売春婦と同じだと信じていたクララの母親は、女優になった彼女を殺そうとしたこともあったといいます。母親は1923年に精神病院で死去しましたが、クララは生涯を通じて罪悪感にさいなまれたそうです。同時にクララのキャリアは上昇、特に映画プロデューサーのB・P・シュールバーグに見出されてお色気コメディ映画に出演してから人気を集めるようになり、1922年のデビュー以来数年でハリウッドの人気女優となりました。
1927年、クララはコメディ映画「あれ(IT)」で健康的なお色気を発散するデパートガールを演じ、映画は大ヒット。以来"It Girl"と呼ばれるようになります。月に45000通のファンレターを受け取ったこともあるという凄まじい人気でした。また、同年に出演した「つばさ」が第1回アカデミー賞の作品賞を受賞。彼女の人気が上がるにつれ、タブロイド紙は彼女の派手なライフスタイルを書き立てるようになります。アルコール・ドラッグ・ギャンブル・セックスなど多くのスキャンダルがまことしやかに語られ、また彼女の金を横領していた秘書が解雇された腹いせに彼女の私生活を暴露するなどし、人気はあっという間に衰えてしまいます。1930年代に入るとトーキーの波に乗り切れず、1933年に引退を余儀なくされます。その後、1931年に結婚した俳優のレックス・ベルと共に住み、2人の息子をもうけました。夫のレックス・ベルはネバダ州副知事を務めたこともありました。クララは1965年に心筋梗塞で死去。
一方、ブラッド・ピットが演じたジャック・コンラッドのモデルは、ジョン・ギルバートだとされています。1897年アメリカ合衆国ユタ州ローガン出身のハリウッド俳優です。端整な顔立ちでサイレント映画時代に活躍した、典型的なアメリカの二枚目俳優。芸能一家に生まれ、1915年に映画デビュー。「想い出の丘へ」でメアリー・ピックフォードが相手役に指名したことから知名度が上がり、1921年にフォックス・フィルムと3年間契約を結んだ後、1924年にメトロ・ゴールドウィン・メイヤーに移りました。「ビッグ・パレード」などの大作に起用され、当時人気俳優だったルドルフ・ヴァレンティノと肩を並べる程の人気スターとなりました。特に1926年の「肉体と悪魔」で共演したグレタ・ガルボとは私生活でも恋愛関係にあったとされ、結婚までには至りませんでしたが、ファンに「最高の美男美女カップル」と呼ばれました。
やがてトーキー映画時代に入り、ジョン・ギルバートは大作ミュージカル「ハリウッド・レヴィユー」に出演しますが、スターとしての風格に似合わない甲高いキイキイ声が観客の失笑を買い、人気は急降下。ガルボとの5年ぶりの共演となる「クリスチナ女王」に再起を賭けたものの、トーキーに順応していたガルボとの格の違いは明らかで、彼のキャリア復帰までには至りませんでした。その後は仕事もほとんど途絶え、1936年1月9日、アルコール中毒による心臓発作で死亡。「バビロン」では、時代についていけずに落ちぶれる大物俳優の悲哀をブラッド・ピットが見事に演じました。彼は今年60歳になりますが、ハリウッドにおけるリアル大物俳優のオーラを放ち続けています。冒頭のパーティー・シーンで泥酔して髪が乱れた姿は、やはり同年齢の大物俳優であるジョニー・デップに雰囲気がよく似ていましたね。余談ですが、わたしも、ブラピとジョニデと同い年です。どうも、すみません。
『死を乗り越える映画ガイド』(現代書林)
さて、ブラピ演じるジャック・コンラッドがトーキーで失敗したとき、旧知の映画ゴシップライターが彼を酷評した記事を発表します。それを読んだジャックは激怒して女性ライターのもとに押し掛けるのですが、そのときの彼女の話が印象深かったです。彼女は「残念ながらあなたの時代は少し前に終わっているの」と残酷な事実を告げながらも、「でも、あなたの映画を50年後に観た子どもたちは、あなたを友達のように感じるわ。これは素晴らしいことよ」「あなたの出演した映画は100年後にも鑑賞できるわ。そのとき、死者であるあなたは甦るのよ」と言います。「いま撮影している映画の出演者たちは100年後には生きていないけれど、フィルムを倉庫から出して映写機にかけさえすれば、死者たちは恋をし、大冒険をし、戦争をするの」「つまり、あなたは映画によって永遠の生命を得たのよ」と言うのです。これは、拙著『死を乗り越える映画ガイド』(現代書林)で述べたメッセージと同じなので、驚きました。すべての人間の文化の根底には「死者との交流」という目的があるというのがわたしの考えですが、映画そのものが「死者との再会」という人類普遍の願いを実現するメディアでもあると思っているのです。
拙著を紹介したので、もう1冊、書籍を紹介したいと思います。実験映画作家のケネス・アンガーが1959年に発表した奇書『ハリウッド・バビロン』です。ケネス・アンガーは、1927年生まれ。幼少の頃、子役としてハリウッド映画に出演し、9歳の頃から短編映画を製作。魔術、ドラッグ、ゲイをテーマに、数々の実験映画を発表。アンダーグラウンド・シーン、ゲイ・カルチャーを牽引し、今なお多くのアーティストに影響を与えている人物です。彼が書いた『ハリウッド・バビロン』は、ハリウッドの50年の歴史の中で業火に焼かれたスターたち(チャーリー・チャップリン、クララ・ボウ、エロール・フリン、ジーン・ハーロウ、フランシス・ファーマー、マリリン・モンロー)のスキャンダル集です。ハリウッドにおける性とドラッグにまつわるあらゆる醜聞(殺人事件も含まれる)を集めた書物ですが、書かれている事柄の多くは現在では無根拠、または虚偽であるとされており、事実関係の誤りも多いです。しかし、映画「バビロン」は明らかにこの『ハリウッド・バビロン』にインスパイアされていますね。
映画創世記を描いた作品はいくつかありますが、タヴィアーニ兄弟監督の「グッドモーニング・バビロン」(1987年)は名作でした。映画の父D・W・グリフィスの超大作「イントレランス」(1916年)のセット建設に参加した、あるイタリア人兄弟の物語です。借金の為に家業をたたんだボナンニ家の息子ニコラとアンドレアは、2人でアメリカへと渡ります。ちょうどその頃「イントレランス」の製作に取りかかったばかりのグリフィス監督は、セット建設にイタリア館を建てた棟梁を指名しました。彼らは棟梁だと偽り、自分たちが作った象のセットを監督に見せるのでした。タイトルとテーマが似ていることから、「バビロン」を観て「グッドモーニング・バビロン」を連想する人も多いでしょう。ちなみに、「バビロン」とは「栄華の都」を意味し、日本語ではそのまま「映画の都」に通じます。でも、「グッドモーニング・バビロン」が描いた「イントレランス」には古代都市バビロンのセットが実際に登場します。まさに映画は魔法だと実感します。
「バビロン」の最後には「イントレランス」の実際の映像も少しだけ登場します。いつの時代にも存在する不寛容(イントレランス)を描き、人間の心の狭さを糾弾した超大作です。この物語では4つの不寛容のエピソードからなる群像劇です。4つのエピソードは、現代の(製作当時の)アメリカを舞台に青年が無実の罪で死刑宣告を受ける「アメリカ篇」、ファリサイ派の迫害によるキリストの受難を描く「ユダヤ篇」、異なる神の信仰を嫌うベル教神官の裏切りでペルシャに滅ぼされるバビロンを描く「バビロン篇」、フランスのユグノー迫害政策によるサン・バルテルミの虐殺を描く「フランス篇」で、この4つの物語を並列的に描くという斬新な手法を用いて描きました。4つの物語を並行して描くという構成や、クロスカッティング、大胆なクローズアップ、カットバック、超ロングショットの遠景、移動撮影などの画期的な撮影技術を駆使して映画独自の表現を行い、アメリカ映画史上の古典的名作として映画史に刻まれています。本作「バビロン」は、「イントレランス」の群像劇を受け継いだ映画だと言えます。
「バビロン」に登場する実際の映画は他にもあります。まずは、「ジャズ・シンガー」です。1927年10月6日にワーナー・ブラザースが公開した「世界初の」トーキー作品として有名な映画です。驚異的な興行収入を記録し、トーキー時代の幕を開きました。「バビロン」では、ニューヨークの映画館で「ジャズ・シンガー」を観たマニーが付き人をしていたジャックに公衆電話をかけ、興奮しながら「大変だ、時代が変わる!」と叫ぶシーンがありました。「ジャズ・シンガー」で流れた映画史上初めてのセリフ「お楽しみはこれからだ!」はあまりにも有名です。物語は、ユダヤ教徒で司祭長の息子であるジェイキー(アル・ジョンソン)がプロのジャズ歌手になるというものです。ジェイキーは、才能あるミュージカル女優メアリー(メイ・マカヴォイ)に後押しされ、トントン拍子に売れっ子となります。念願のブロードウェイの仕事が決まりますが、初舞台の前日、父が倒れてしまいます。この映画は第1回アカデミー賞で脚色賞部門でノミネートされ、1953年と1980年にリメイクされています。
「バビロン」に登場する次の実際の映画は、「雨に唄えば」(1952年)です。サイレントからトーキーへの大変化を描いた映画であり、「バビロン」と共通する部分が多いです。トーキー到来期のハリウッドを舞台に綴られる映画スターの恋が描かれ、ジーン・ケリーが土砂降りの雨の中で主題歌「Singin' in the Rain」を歌いながらダンスを踊る......映画史に燦然と輝くミュージカル映画の傑作です。トーキーの出現でハリウッドは大騒動となり、それまでスターだったリナ(ジーン・ヘイゲン)もその悪声から将来が危ぶまれます。パートナーのドン(ジーン・ケリー)はリーナの吹き替えに採用されたキャシー(デビー・レイノルズ)に目をつけ、親友のコズモ(ドナルド・オコナー)と一緒に、彼女を次代のスターに担ぎ出そうとします。サイレントから新たなる時代に突入した映画界の楽屋裏を軸に、ケリーとレイノルズのロマンスを描いた名作です。ちなみに、「バビロン」の中で「雨に唄えば」が上映されるシーンがありますが、最初にお断りが出たように、権利関係の問題で字幕がつきませんでした。
「バビロン」とテーマが共通する作品として、一条真也の映画館「アーティスト」で紹介した2012年の映画も忘れられません。第84回アカデミー賞では、作品賞をはじめ5部門を受賞した作品です。この映画はフランス映画です。監督はミシェル・アザナヴィシウスで、ジャン・デュジャルダン、ベレニス・ベジョが主演しています。デュジャルダンは第84回アカデミー賞の主演男優賞と第64回カンヌ国際映画祭の男優賞を受賞しています。なぜ、フランス映画がアカデミー5冠に輝いたかといえば、それはこの映画の舞台がハリウッドであり、アメリカ映画そのものに対するオマージュとなっているからに他ならないでしょう。そう、「アーティスト」は1927年から1932年までのハリウッドを舞台としています。トーキーの登場でサイレント映画の時代が終わったことで落ちぶれた男優、トーキーによって躍進し時代の寵児となった女優、その2人の生きる姿を描く物語です。最初はサイレント、カラー映画として作られましたが、後に白黒映画に変更されました。
そして、「バビロン」を観た映画好きは、どうしても一条真也の映画館「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド」で紹介した2019年の映画を連想するでしょう。レオナルド・ディカプリオ、ブラッド・ピットとクエンティン・タランティーノ監督が再び組んだ話題作です。1969年のロサンゼルスを舞台に、ハリウッド黄金時代をタランティーノ監督の視点で描きました。マーゴット・ロビー、アル・パチーノ、ダコタ・ファニングらが共演。人気が落ちてきたドラマ俳優、リック・ダルトン(レオナルド・ディカプリオ)は、映画俳優への転身に苦心していました。彼に雇われた付き人兼スタントマンで親友のクリフ・ブース(ブラッド・ピット)は、そんなリックをサポートしてきました。あるとき、映画監督のロマン・ポランスキーとその妻で女優のシャロン・テート(マーゴット・ロビー)がリックの家の隣に引っ越してきます。タランティーノ監督のハリウッド愛が全篇に溢れた映画であり、わたしは161分の上映時間ずっと退屈しませんでした。ラストの展開は想定外で呆然としましたね。
「バビロン」に話を戻すと、チャゼル監督は今作で、時代と業界の表も裏もすべてをさらけ出すことに挑戦しました。やはり彼の映画が好きでたまらない、そんな想いが伝わってきます。彼の映画愛は何よりもラストの映画館のシーンによく表れています。最後の最後に、映画館の観客たちの顔が写し出されますが、恍惚の表情でスクリーンを見つめる人、笑顔で見つめる人、家族で仲良く鑑賞する人、むしゃむしゃとポップコーンを食べながら観る人、映画館の暗みに紛れて恋人とキスをする人......各人各様ですが、みんな本当に幸せそうな顔をしています。ブログ「映縁」にも書きましたが、映画館で同じ映画を観るというのは得難い「縁」ではないでしょうか。何よりも、映画ほど人と人の心を通わすものはありません。
『心ゆたかな映画』(現代書林)
初対面の人でも映画好きと聞いて映画の話に花が咲き仲良くなったり、友人や家族と観に行って死生観を共有したり。何十年も前に観た映画のたった一言のセリフが今でも心に刻まれていたり。それがまた人と繋がるきっかけになったり。何よりも、映画が昔も今も男女のデートの王道であることが「映縁」が存在することに最高の証明になるでしょう。拙著『心ゆたかな映画』(現代書林)にも書いたように、同じ映画を観て感動することは最高の人間関係だと言えます。映縁は永遠なり!