No.899
6月20日の朝一番、ヒューマントラストシネマ有楽町でイギリス映画「ハロルド・フライのまさかの旅立ち」を観ました。最初は違和感をおぼえましたが、次第に主人公の想いに共感できました。グリーフケア映画の傑作です!
ヤフー映画の「解説」には、こう書かれています。
「レイチェル・ジョイスの小説『ハロルド・フライの思いもよらない巡礼の旅』を原作に描くヒューマンドラマ。死期が迫るかつての同僚から手紙を受け取った男性が、ある思いを伝えるために、イギリスを歩いて縦断する800キロの旅に出る。メガホンを取るのはドラマシリーズ『フォーティチュード/極寒の殺人鬼』などのヘティ・マクドナルド。『ゴヤの名画と優しい泥棒』などのジム・ブロードベント、『永遠のプリマ マーゴ・フォンテーン』などのペネロープ・ウィルトンらがキャストに名を連ねる」
ヤフー映画の「あらすじ」は、以下の通りです。
「定年退職し、妻のモーリーン(ペネロープ・ウィルトン)と暮らすハロルド・フライ(ジム・ブロードベント)のもとへ、ホスピスに入院中のかつての同僚クイーニーから手紙が届く。余命わずかの彼女に返事を出そうと家を出たハロルドは途中で気が変わり、手紙を直接届けることを思いつく。彼はある思いを伝えるため、イギリスの北端まで800キロの道のりを歩き始める」
原作である『ハロルド・フライの思いもよらない巡礼の旅』について、アマゾンの内容紹介には、「65歳の定年退職者ハロルド・フライは、癌で死にゆく友人に、ただお見舞いとありがとうを伝えるために1000キロの道を手ぶらで歩き始めた。本当は手紙を出すつもりだったのに、実際に会って伝えるべきだと思って......。 道中の心温まる感動的エピソードの数々、すっかり蓋をしてもう触れることのないハロルドの悲しい秘密......。 胸を打つ長編小説!」とあります。ナショナル・ブック・アワード新人賞受賞。世界37ヵ国で刊行され、累計発行部数600万部の大ベストセラー小説です。日本では、2014年の本屋大賞翻訳小説部門で第2位に輝きました。
原作ではハロルドの歩行距離は1000キロですが、映画では800キロとなっています。いずれにしても、途方もない距離であることに間違いはありません。イギリスの南西から最北端まで歩く計算になり、日本に置き換えると東京から北海道・札幌市の手前あたりまで。そんな遠い目的地に、ハロルドは元同僚のクイーニーに会いに行くわけですが、クイーニーが女性である点が気になりました。当然ながら、「ハロルドは、元恋人あるいは不倫相手に会いに行くのでは?」と勘ぐってしまいますが、ハロルドには妻がいるのです。実際、ハロルドがクイーニーに会いに行くと正直に言うと、妻のモーリーンは困惑し、不快感を示します。妻を傷つけるハロルドに怒りさえ感じましたが、クイーニーには惚れていないことがわかり、安心しました。
『唯葬論』(三五館)
もう1つ、ハロルドの行動で大きな違和感をおぼえた点があります。それは、ハロルドが歩きながら、クイーニーのことを「けっして死なない。死なせない。絶対に死なせたりしない」と口にしていたことです。これでは、死を完全否定することになり、死ぬ人は敗北者のようではありませんか。そもそも、末期がん患者としてホスピスにいるなら死は避けられないものであり、それを否定することは暴力的に思えました。かつて、オウム真理教の「麻原彰晃」こと松本智津夫が説法において好んで繰り返した「人は死ぬ、必ず死ぬ、絶対死ぬ、死は避けられない」という文句を連想しました。拙著『唯葬論』(三五館、サンガ文庫)に書いたように、死の事実を露骨に突き付けることによってオウムは多くの信者を獲得しましたが、結局は「人の死をどのように弔うか」という宗教の核心を衝くことはできませんでした。最も重要なのは、人が死ぬことではなく、死者をどのように弔うかということ。問われるべきは「死」でなく「葬」なのです。しかし、ハロルド夫妻に起こった悲しい出来事を知ったとき、「ハロルドが死を忌み嫌うのは仕方ないかな」とも思いました。
この物語では、ハロルド・フライと息子とのディス・コミュニケーションが大きなテーマの1つとなっています。息子はケンブリッジ大学に合格するほど優秀なのですが、精神を病んでドラッグに走り、父であるハロルドと心を通わせようとしません。息子に関わっているときのハロルドは黒髪、クイーニーに会いに出かけたときは白髪です。これは、もちろん時間の経過を表現しているということもあるでしょうが、クイーニーに会うために歩き始めた彼が「老人」であることを明示しています。老人といっても、原作ではハロルドは65歳という設定で、61歳であるわたしと4歳しか違いません。ちょっとショックでしたが、ハロルドを演じたジム・ブロードベントは現在75歳。65歳だと無理がありますが、75歳なら納得ですね。終盤、ボロボロになったハロルドが「息子に会いたい!」と錯乱して号泣するところは貰い泣きしました。
最初はたった1人で歩き始めたハロルドですが、メディアに取り上げられることによって有名になり、同行者が増えていきます。そして、彼の旅は「巡礼」の様相を呈していくのでした。巡礼とは、 日常的な生活空間を一時的に離れて、宗教の聖地や聖域に参詣し、聖なるものにより接近しようとする宗教的行動のことです。 巡礼は世界の多くの宗教で、重要な宗教儀礼と見なされています。特にその宗教の信者が、特定の地域や文化圏を超えて、広域に分布している宗教においては、とりわけ大切なものとみなされます。したがって巡礼は、未開宗教よりも歴史的な宗教や世界宗教において、より一層、盛んに行われています。
巡礼の根本的なかたちは「遠方の聖地に赴く」ということです。それは、わたしたちの居住地、つまり日常空間あるいは俗空間から離脱して、非日常空間あるいは聖空間に入り、そこで聖なるものに接近・接触し、その後ふたたび もとの日常空間・俗空間に復帰する行為と言えるでしょう。聖地は多くが辺鄙な場所にあるので、交通手段が未発達の時代においては個人で行うのは困難でした。つまり、ほとんどが集団での巡礼だったのです。また、巡礼は長日数におよび金銭的な準備も必要なので、現代でも世界中で集団型巡礼はきわめて盛んです。映画の中で、ハロルド・フライの同行者がどんどん増えていき、ハロルドが「聖人」として扱われる姿には、宗教が生まれるメカニズムを描いているかのようでした。
世界の宗教史上で最も大規模な巡礼は、世界中のイスラム教徒がサウジアラビア西部の聖地メッカを訪れる大巡礼(ハッジ)です。そのハッジに関する信じられないニュースがありました。20日、AFP通信はメッカの気温が51.8度を超え、巡礼者1081人が死亡したと報じたのです。 メッカでは17日に気温51.8度を記録する酷暑が続き、多くが熱中症が死因とみられます。当局の許可を得ずに参加した巡礼者が暑さ対策を受けられなかったことも死者数増加につながった可能性があるといいます。ハッジは事前登録制ですが、毎年何万人もの非登録者が詰めかけます。サウジは巡礼者用に冷房設備を完備した施設を用意していますが、非登録者は対象外といいいます。巡礼とは命懸けの行為であることを再認識しました。それにしても、世界最大の巡礼で死者が続出したというニュースに接した日に、ハロルド・フライが巡礼の旅に出た映画を観たのはなんとも奇遇ですね。
それにしても、ハロルド・フライを演じたジム・ブロードベントが素晴らしかったです。彼は、イギリスのリンカンシャー州リンカン出身。両親ともに芸術家でアマチュアの役者でした。1972年にロンドンのロンドン音楽演劇アカデミーを卒業。舞台俳優としてキャリアをスタートし、ロイヤル・ナショナル・シアターやロイヤル・シェイクスピア・カンパニーなどの舞台に立ちました。1978年に「ザ・シャウト/さまよえる幻響」で映画デビュー。1991年にマイク・リー監督作品の「ライフ・イズ・スウィート」で注目を集めました。1999年公開の「トプシー・ターヴィー」でヴェネツィア国際映画祭 男優賞を、2001年公開の「アイリス」でアカデミー助演男優賞を受賞。2007年放送のテレビシリーズ「The Street」でエミー賞主演男優賞を受賞。
ジム・ブロードベントは「ハリー・ポッター」シリーズでスラグホーンを演じたことでも知られていますが、最近では、一条真也の映画館「ゴヤの名画と優しい泥棒」で紹介した2021年の映画で主演したことが思い出されます。1961年にイギリス・ロンドンのナショナル・ギャラリーで起きた絵画盗難事件に基づくコメディーです。監督は「ノッティングヒルの恋人」などのロジャー・ミッシェル。1961年、イギリス・ロンドンにある美術館ナショナル・ギャラリーで、スペインの画家フランシスコ・デ・ゴヤの絵画『ウェリントン公爵』の盗難事件が起きる。犯人である60歳のタクシー運転手ケンプトン・バントン(ジム・ブロードベント)は、絵画を人質に政府に対して身代金を要求する。テレビが娯楽の大半を占めていた当時、彼は絵画の身代金を寄付して公共放送BBCの受信料を無料にし、孤独な高齢者たちの生活を救おうと犯行に及んだのでした。
「ハリウッドリポーター」より
わたしが、映画「ハロルド・フライとまさかの旅立ち」を観たいと思ったのは、「ハリウッドリポーター」に掲載された「イギリスNo.1ヒット『ハロルド・フライのまさかの旅立ち』ある想いを胸に800キロの旅に出るロードムービー」とい記事を読んだからです。映画コラムニストの堀田明子(アキ)さんが書かれた記事ですが、彼女は「ロードムービーの醍醐味といえば、スクリーンに登場する数々のロケ地。『ハロルド・フライのまさかの旅立ち』では、イギリス郊外の美しい大聖堂や田園風景、レンガ造りの街並みが登場し、その壮大な風景に心を奪われる。ガイドブックには載ってない地元ならではの景色が映し出されると、イギリス郊外での暮らしはどんなだろう?と思わず空想に浸ってしまったり。撮影はケイト・マッカラで、『コット、はじまりの夏』ではアイルランドの自然が生み出す光の美しさを表現。アイリッシュ映画&テレビアカデミー賞最優秀撮影賞を受賞した。本作でも、光の描写がとても美しくて幻想的。部屋に差し込む日差し、木漏れ日、雲間から差す天使のはしご、そのどれもが希望を表現しているかのようで心が洗われる瞬間だ」と書いています。
アキさんといえば、 一条真也の映画館「星の旅人たち」で紹介した2010年のアメリカ・スペイン合作のドラマ映画を教えてくれた人でもありますが、ロードムービーがお好きのようですね。「星の旅人たち」は、スペイン北部のキリスト教巡礼地を回れずに急死した息子の遺志を継ぎ、彼の代わりに旅をする父親の姿を温かなタッチで見つめていく作品です。息子のダニエル(エミリオ・エステヴェス)が、ピレネー山脈で嵐に遭遇して死んだと知らされたトム(マーティン・シーン)。キリスト教巡礼地サンティアゴ・デ・コンポステーラを巡る旅を果たせなかった息子をとむらい、彼が何を考え巡礼に臨んだのかを知ろうとトムは決意。ダニエルの遺品と遺灰を背負い、800キロメートルの道を歩く旅に出る。その途中、夫のDVに苦しんだサラ(デボラ・カーラ・アンガー)や不調に陥った旅行ライターのジャック(ジェームズ・ネスビット)と出会うのでした。
「ハロルド・フライのまさかの旅立ち」を観て、連想した映画が他にもあります。一条真也の映画館「君を想い、バスに乗る」で紹介した2020年のイギリス映画です。妻を亡くした90歳の男性が、路線バスのフリーパスを利用してイギリス縦断の旅に出るロードムービー。道中さまざまな出会いやトラブルを経験しながら、妻との思い出の地を目指す主人公の姿を描いています。最愛の妻メアリー(フィリス・ローガン)に先立たれた90歳のトム・ハーパー(ティモシー・スポール)は、路線バスのフリーパスを使ってイギリス縦断の旅に出る。長年暮らした家を離れ、妻と出会った思い出の地を目指すトム。道中さまざまな人たちと出会い、トラブルに巻き込まれるが、メアリーと交わした約束を胸に旅を続けるのでした。最後に大きな感動が待っているグリーフケア映画の名作でした。最近どうも、おじいちゃんを歩かせる映画が多いような気がしますね。
「ハロルド・フライのまさかの旅立ち」のラストシーンが印象的でした。ハロルドがクイーニーのお土産として買った水晶玉(じつはガラス玉)が陽の光を反射してキラキラと輝くのですが、それがこれまでにハロルドが縁のあった人々のいる場所でも輝くのです。わたしは「帝釈の網」あるいは「インドラの網」を連想しました。帝釈とは「帝釈天」のこと。もともとは「インドラ」というヒンドゥー教の神ですが、仏教に取り入れられ、仏法および仏教徒の守り神になりました。 その帝釈天が地球上に大きな網をかけたというのです。地球をすっぽり覆うほどの巨大な網が下りてきたわけで、当然わたしたちの上に網はかかりました。1つ1つの網目が、わたしたち1人1人です。網目にはシャンデリアのミラーボールのようにキラキラ光る「宝珠」がぶら下がっています。つまり、人間はすべて網目の1つでミラーボールのような存在としたのです。
この比喩には、きわめて重要な2つのメッセージがあります。1つは、「すべての存在は関わり合っている」ということ。もう1つは、個と全体の関係です。全体があるから個があるわけですが、それぞれの個が単に集合しただけでは全体になりません。個々の存在が互いに関わり合っている、その「関わり合いの総体」が全体であると仏教では考えるのです。網目の1つが欠けたら、それは網にはなりません。ブログ「玄侑宗久先生との対談」で紹介したように、わたしは芥川賞作家で福聚寺住職の玄侑宗久先生と先月末に対談しましたが、そのとき華厳思想に触れながら、玄侑先生がインドラの網について「お釈迦さまの目で見ればそれらはきっと今でも繋がったままなのですが、これこそ私だと誤解したまま生き続ける我々には、なかなかそうは思えません。勝手に孤独になって悩み、そしてやっぱり誤解だったのかと思いながらやがてインドラ網の中に溶け込んでいく......。それがたぶん、普通の人の人生最期の時なのではないでしょうか」と語られたことが印象的でした。ハロルド・フライの人生も、わたしたちの人生も多くの「縁」によって成り立っているのです。