No.981
東京に来ています。12月13日の夜、渋谷パルコ8階のホワイト・シネクイントで日本映画「大きな家」を観ました。児童養護施設の子どもたちをテーマにしたドキュメンタリー映画ですが、非常に感動しました。映像も涙が出るほど美しく、今年の一条賞の最有力候補作品であります。この映画を観るために、ちょっと苦手な渋谷を訪れて良かった!
ヤフーの「解説」には、こう書かれています。
「『ゾッキ』などの齊藤工が企画などを務め、児童養護施設で育つ子供たちの日常を描くドキュメンタリー。東京にある児童養護施設で、親と離れて暮らす子供たちの成長を映し出す。監督などを手掛けるのは『14歳の栞』『MONDAYS/このタイムループ、上司に気づかせないと終わらない』などの竹林亮」
ヤフーの「あらすじ」は、以下の通りです。 「東京のとある児童養護施設では、死別や病気、虐待や経済的問題などさまざまな事情から親と離れて暮らす子供たちが、職員と共に生活している。家族とも他人ともつかない関係性の中で彼らは成長し、それぞれに葛藤しながらも少しずつ大人になっていく」
この映画を感想を書くのは、簡単なようで難しいです。「可哀想な子どもたちが健気に前向きに生きている姿に感動した」などという上から目線の感想を述べる気は毛頭ないのですが、この映画に登場する児童養護施設の子どもたちから勇気を貰ったのは事実です。また、彼らを見守る先生方には、ある意味で子どもたち以上の感動を与えられました。まさにハートフル・エッセンシャルワークに従事する先生方は、複雑な家庭環境から施設に預けられた子どもたちに対して常に明るく接し、時には厳しく接し、施設を卒業する子たちには「困ったことがあったら、いつでもここに来なさい」と優しく声をかける。そのへんの家庭よりもずっと家庭らしい場がそこにありました。
しかしながら、この映画は綺麗ごとでは終わりません。「ここを実家を思うか?」という質問には、子どもたちは「実家じゃない。預かってもらっている場所」と答えます。また、施設で一緒に暮らしている他の子どものことを「血が繋がっていないから家族じゃない。同居している他人」と答えたりもします。その点、映画に登場するネパールの児童養護施設の子どもたちが「ここは家で、みんなは家族」と言い切っているのが印象的でした。宗教的な背景もあるのかもしれません。それにしても、これだけ児童養護施設の子どもたちの本心が垣間見える映画は世界でも初めてではないでしょうか。映画史の上からも非常に価値があると思いました。製作者に心から敬意を表します。
児童養護施設といえば、昔は「孤児院」と呼ばれていました。わたしが孤児院というものの存在を初めて知ったのは、梶原一騎原作のアニメ「タイガーマスク」に登場する「ちびっこハウス」でした。アニメの中のちびっこハウスはいつも経営危機で、借金取りの嫌がらせを受け、子どもたちもみすぼらしい恰好をしていました。あれは民営の施設だったわけですが、映画「大きな家」に登場する児童養護施設は公営のようです。それが想像以上に綺麗で立派なので、ちょっと驚きました。そして、綺麗で立派なだけではなく温かいのです。大人数で食事をしたり、ケーキを十等分で分け合ったりするシーンなど、各所に大家族の魅力が示されていました。また、大きな家では年中行事を重んじます。クリスマス・ツリーはもちろん、正月飾りや雛人形など、世の小さな家から次々に消えているものの姿がそこにはありました。そのシーンに無性に感動しました。
わたしが、この映画を観ようと思った理由は2つあります。1つは、映画監督で俳優の齋藤工さんが製作者だったからです。俳優としては「斎藤工」名義、映画監督としては本名の「齋藤工」名義を使われているとのことですが、一条真也の映画館「昼顔」 、「シン・ウルトラマン」 で紹介した主演作の演技も素晴らしかったですし、一条真也の映画館「スイート・マイホーム」で紹介した監督作もホラー映画として秀逸でした。彼は現在43歳なので、わたしよりも18歳も年下ですが、わたしは彼を気骨のある映画人としてリスペクトしています。
じつは、14日の夜、東京の西麻布で開かれるフォーマル・パーティーに参加することになっています。そこで、わたしは「映画は、愛する人を亡くした人への贈り物」の演題で、映画とグリーフケアの関係について卓話をする予定なのですが、「大きな家」はまさにグリーフケア映画そのものなのです。そこで、ぜひ卓話で「大きな家」の話をしたいと思い、前日に鑑賞した次第です。
「西日本新聞」2021年12月7日朝刊
この映画を観たもう1つの理由は、わが社が児童養護施設の支援活動をずっと続けているからです。というのも、わが社は児童養護施設に入居している新成人に晴れ着などを提供、記念写真を撮影する取り組みを行っているのです。施設の入居児童に対しては従来、18歳未満までの支援が行われてきましたが、それでは社会的自立が難しいため、2017年度から22歳の年度末まで入居が可能となり、施設内で成人式の年齢を迎えるケースが増えてきました。しかし、経済的に晴れ着を借りられない新成人がほとんどで、一生の記念となる成人式の写真も持っていない人が多いです。 礼の社を目指すわが社では、経済的理由から人生の節目を実感できない児童のケアのため、晴れ着やバッグ、草履などの貸衣裳一式を貸与し、プロのカメラマンが記念写真を撮影してプレゼントすることにしました。
「読売新聞」2022年12月6日朝刊
また同様に、経済的理由から七五三の晴れ着撮影ができない児童養護施設の児童に対しても、無償で晴れ着を提供し、プロのカメラマンが撮影する活動を続けています。七五三は不安定な存在である子どもが次第に社会の一員として受け容れられていくための大切な通過儀礼です。成人式はさらに「あなたは社会人になったね。おめでとう」と伝える場であり、新成人はここまで育ててくれた親や地域社会の人々へ「ありがとう」「立派な社会人になります」という感謝と決意を伝える場ではないでしょうか。
『人生の四季を愛でる』(毎日新聞出版)
映画「大きな家」でも、新成人を祝うシーンがあり、感動しました。拙著『人生の四季を愛でる』(毎日新聞出版)にも書きましたが、七五三や成人式、また長寿祝いも含め、すべての通過儀礼の本質は「あなたが生まれたことは正しい」「あなたの成長を世界は祝福している」という存在肯定のセレモニーです。また、年中行事もしかり。クリスマス・ツリーも、正月飾りも、雛人形も、もちろんそれぞれ固有の意味はありますが、すべては「この世界は素晴らしい」「だから、明日を信じて生きよう」というメッセージではないでしょうか。さらには、映画では誕生日祝いもシーンがよく出てきましたが、誕生日を祝うことこそは、その人の存在を全面的に肯定することです。冠婚葬祭も、年中行事も、誕生日も、すべては人間尊重のセレモニーであり、人生の応援歌なのです。
『コンパッション!』(オリーブの木)
その意味で、冠婚葬祭互助会であるわが社が児童養護施設の支援をさせていただいているのは当然だと言えます。わたしたちは、冠婚葬祭という「存在肯定」のプロフェッショナルだからです。拙著『コンパッション!』(オリーブの木)に書いたように、「思いやり」を意味するコンパッションには他者を肯定する精神が欠かせません。わが社の社名は「サンレー」といいますが、太陽光線(SUNRAY)の意味があります。これには、万物に等しく光を降り注ぐ太陽のように、すべての人の肯定する儀式を提供したいという願いが込められています。そして、その願いを「天下布礼」と呼んでいます。
『心ゆたかな社会』(現代書林)
わたしたちが目指すのは、人と人とが助け合い、支え合う「互助共生社会」の実現です。拙著『心ゆたかな社会』(現代書林)にも書いたように、互助共生社会とは、わたしが長年提唱し続けてきた「ハートフル・ソサエティ」にも通じるものです。その可能性を感じさせる場面が、映画「大きな家」の中でのチームでの登山のシーンの中にありました。何よりも、昔の大家族というものは互助共生社会の雛形のようなものでしたが、その面影が「大きな家」にはあります。この映画を観て、齋藤工さんにお会いしたくなりました。齋藤さんは映画人、わたしは冠婚葬祭人、ともに人生にエールを送る者同士として大いに語り合えるのではないかと思いました。最後に、この映画に登場した子どもたち、そして世界中の児童養護施設で暮らす、すべての子どもたちの夢が叶いますように......。
渋谷パルコの前で