No.1007


 日本映画「ファーストキス 1ST KISS」をシネプレックス小倉で観ました。予告編を観て、「よくあるタイムトラベル恋愛映画だな」と思いました。実際その通りなのですが、松たか子と坂元裕二の名前に惹かれて鑑賞しました。想像に違わず、松たか子の演技と坂元裕二の脚本が素晴らしかったです。グリーフケア映画の名作でした!
 
 ヤフーの「解説」には、こう書かれています。
「『わたしの幸せな結婚』などの塚原あゆ子が監督を務めたラブストーリー。事故で夫を亡くした女性が、夫と出会った15年前にタイムトラベルをして若き日の夫と再会する。『花束みたいな恋をした』などの坂元裕二が脚本を手掛けた。坂元の脚本によるドラマ『カルテット』『大豆田とわ子と三人の元夫』などの松たか子が主人公を演じ、彼女の夫を『夜明けのすべて』などの松村北斗が演じる」
 
 ヤフーの「あらすじ」は、以下の通りです。
「結婚して15年目になる夫・駈(松村北斗)を事故で亡くした硯カンナ(松たか子)。一人残された彼女が新たな人生を歩み出そうとしていた矢先、タイムトラベルのすべを手に入れたことから、戻った過去で若き日の駈と再会する。生前の駈とは長らく倦怠期で不仲だったものの、あらためて彼への思いを再確認し、ほれ直したカンナは、15年後に事故死する駈を救おうとする」
 
 本作の終盤ずっと、わたしの前の席に座った女性がすすり泣いていました。わたしもハンカチを濡らしました。それぐらい切ない物語でしたが、「人の出会いというものは宇宙の強い力によるもので、少々のことでは避けることはできないのだ」ということを感じました。夫が事故死する運命を変えようとする硯カンナ(松たか子)は気が遠くなるような努力を続けます。しかし、どんなにあがいても、カンナの夫である硯駈(松村北斗)は死すべき存在でした。一条真也の映画館「花束みたいな恋をした」で紹介した2021年公開の作品は恋愛映画の名作でしたが、その脚本を手掛けた坂元裕二が今回の「ファーストキス 1ST KISS」でも素晴らしい仕事をしています。中でも、安易なハッピーエンドに終わらせなかったことが秀逸でした。
 
 映画「ファーストキス 1ST KISS」は、まず観客に松村北斗演じる硯駈が駅のホームで列車に轢かれて死亡したという事実を知らしめる必要があるのですが、その最優先情報を映画の冒頭で早々に示していました。わたしは、一条真也の映画館「君の忘れ方」で紹介したわが原案映画のことを考えずにはおれませんでした。あの作品では、ヒロインの美紀(西野七瀬)がバスの事故で亡くなったことが最優先情報でした。そのシーンは映画が開始されてすぐ訪れるのですが、バスが事故を起こしたこと、美紀が犠牲になったことがわかりにくかったのが悔やまれます。もし坂元裕二が「君の忘れ方」の脚本を担当したとしら、美紀の死をどのように描いただろうかと想像しました。
 
 夫婦愛を描いたロマンス映画としても名作である「ファーストキス 1ST KISS」ですが、あえて言うとタイトルが良くないと思いましたね。これでは、「50回目のファーストキス」(2018年)を連想してしまいます。同作は、アダム・サンドラー&ドリュー・バリモア主演による2004年のハリウッド映画「50回目のファースト・キス」を、山田孝之と長澤まさみ共演でリメイクしたラブコメディです。ハワイ、オアフ島でツアーガイドとして働きながら天文学の研究をしているプレイボーイの大輔(山田孝之)は、地元の魅力的な女性・瑠衣(長澤まさみ)とカフェで出会います。2人はすぐに意気投合しますが、翌朝になると、瑠衣は大輔についての記憶を完全に失っていました。瑠衣は過去の事故の後遺症のため、新しい記憶が一晩でリセットされる障害を抱えていたのです。そんな瑠衣に本気で恋をした大輔は、彼女が自分を忘れるたびにさまざまな手で口説き落とし、毎日恋に落ちて毎日ファーストキスを繰り返すのでした。
 
「ファーストキス 1ST KISS」は、いわゆるタイムループSFです。タイムループを主題にした映画はそれこそ多数作られていますが、最も名作だと思うのは、 一条真也の映画館「オール・ユー・ニード・イズ・キル」で紹介した2014年のダグ・リーマン監督のSF映画ですね。2004年に発表された桜坂洋のライトノベルを、トム・クルーズ主演でハリウッド実写化した作品です。「ギタイ」と呼ばれる謎の侵略者と人類の戦いが続く近未来が舞台です。再び戦死するとまた同じ時間に巻き戻り、不可解なタイムループから抜け出せなくなったウィリアム・ケイジ少佐(トム・クルーズ)は、同様にタイムループの経験を持つ軍最強の女性兵士リタ・ヴラタスキ(エミリー・ブラント)に訓練を施され、次第に戦士として成長していきます。戦いと死を何度も繰り返し、経験を積んで戦闘技術を磨きあげていくケイジは、やがてギタイを滅ぼす方法の糸口をつかみはじめるのでした。わたしの大好きなSF映画です。
死を乗り越える映画ガイド』(現代書林)



「オール・ユー・ニード・イズ・キル」は拙著『死を乗り越える映画ガイド』(現代書林)でも紹介しました。同書のテーマは「映画で死を乗り越える」ですが、わたしは映画を含む動画撮影技術が生まれた根源には人間の「不死への憧れ」があると思います。映画と写真という2つのメディアを比較してみましょう。写真は、その瞬間を「封印」するという意味において、一般に「時間を殺す芸術」と呼ばれます。一方で、動画は「時間を生け捕りにする芸術」であると言えるでしょう。かけがえのない時間をそのまま「保存」するからです。「時間を保存する」ということは「時間を超越する」ことにつながり、さらには「死すべき運命から自由になる」ことに通じます。映画は時間を操作できる芸術なので、これまでもタイムループものは多く作られてきましたが、「ファーストキス 1ST KISS」もまさにその系譜にある作品と言えます。
 
 ただ、「ファーストキス 1ST KISS」は単なるタイムループSFではありません。もちろんラブロマンスの要素も強いですが、それ以上に「人間はどう生きるべきか」という倫理の問題を孕んでいます。劇中で、駈が「生きるとか死ぬことよりも大事なことがある」と言うシーンがあるのですが、まさにそれこそがこの映画のテーマであると思いました。駈はホームに転落したベビーカーの赤ちゃんとその母親を救うべくホームの下に飛び降り、2人を救った後に列車に轢かれます。他人の命を救うために自分が命を失い、結果的に妻である自分まで不幸にしてしまった夫をカンナは赦せません。「家族と他人と、どっちが大切なの?」「自分が死んでまで他人を助けるなんて馬鹿じゃないの?」と、カンナは亡き夫を責め続けます。この問題は、かのマイケル・サンデル教授の「正義論」の講義でも取り上げられそうな"究極の選択"ですね。
 
 わたしはの自己犠牲的行動から、孟子を連想しました。孟子は、人間誰しも、あわれみの心を持っていると述べました。幼い子どもが井戸に近づいて行くのを見かけたとします。誰でもハッとして、井戸に落ちたらかわいそうだと思い、救ってやろうと思います。それは別に、子どもを救った縁でその親と近づきになりたいと思ったためではありません。人にほめてもらうためでもなく、救わなければ非難されることが怖いためでもありません。かわいそうだと思う心は、人間誰しも備えているものです。これが有名な孟子の「性善説」ですが、駈はまさに「コンパッション」という善き人間の本性に従って、母子を助けたのでしょう。駈はもともと倫理的な人物で、コロッケ屋をディスるカンナに対して「悪口を言うと貧しくなる」と言います。他者の誹謗中傷を繰り返す匿名ブロガーなどに聞かせたい!
 
「ファーストキス 1ST KISS」では、主人公のカンナが45歳のまま15年前にタイムトラベルします。夫の駈は29歳の青年です。目もキラキラして肌も髪もツヤツヤした夫に対して、45歳のカンナは引け目を感じます。でも、そんなカンナに駈は恋をするのでした。もちろん、将来は結婚するわけですから駈はカンナの内面に惹かれたのでしょうが、わたしはちょっと違う見方をしました。というのは、わたしは、女性が最も綺麗に見えるのは45歳ぐらいだと思っているのです。60歳を超えたわたしから見て、45歳ぐらいの女性というのは、それなりに人生経験も積んで成熟しており、まだ恋愛をする情熱も残っていて、とても魅力的に映ります。わたしは昨年末に亡くなった中山美穂さんの大ファンなのですが、彼女も一番美しかったのは45歳のときでした。当時、18年ぶりにTVで歌唱した「ただ泣きたくなるの」の動画がYouTubeにアップされていますが、その美しさには今でも溜息が出ます。
 
 最後に「ファーストキス 1ST KISS」を観て感じたのは「結婚」というものの持つパワーです。そもそも縁があって結婚するわけですが、「浜の真砂」という言葉があるように、数十万、数百万人を超える結婚可能な異性の中からたった1人と結ばれるとは、何たる縁でしょうか! かつて、古代ギリシャの哲学者プラトンは、元来が1個の球体であった男女が、離れて半球体になりつつも、元のもう半分を求めて結婚するものだという「人間球体説」を唱えました。人間が本当に自分にふさわしい相手をさがし、認め、応えるための非常に精密なメカニズムだととらえていたのです。精力的に自分の片割れをさがし、幸運にも恵まれ、そういう相手とめぐり合えたならば、言うに言われぬ喜びが得られることをプラトンは教えてくれたのです。そして、彼のいう球体とは「魂」のメタファーであったと、わたしは確信しています。そんなことも「ファーストキス 1ST KISS」を観て考えました。