No.1051


 4月13日の日曜日、一条真也の映画館「アンジェントルメン」で紹介した作品に続き、アメリカ映画「サイレントナイト」を小倉コロナシネマワールドで観ました。「アンジェントルメン」と同じく5番シアターの同じ席で鑑賞したのですが、またもや観客はわたし1人でした。「ここのシネコン、本当に経営は大丈夫か?」と心配になります。「サイレントナイト」はグリーフとアクションの描写が均等にミックスされた映画といった感じで、面白さはまあまあでした。

 ヤフーの「解説」には、こう書かれています。
「『レッドクリフ』シリーズなどのジョン・ウーが監督を務めるアクション。ギャング同士の銃撃戦に巻き込まれて子供を失い、自身も声帯を損傷した男が、ギャングへの復讐を誓う。『スーサイド・スクワッド』シリーズなどのジョエル・キナマン、『トラップ』などのスコット・メスカディのほか、ハロルド・トレス、カタリーナ・サンディノ・モレノらが出演する」
 
 ヤフーの「あらすじ」は、以下の通りです。
「クリスマスイブにギャング同士の銃撃戦に巻き込まれ、息子が亡くなるのを目の当たりにし、自身も重傷を負った男(ジョエル・キナマン)。一命を取り留めた男だが、声帯を損傷して声を失い、絶望のふちに突き落とされる。息子と声を失くした男の悲しみは憎悪へと変わり、1年後のクリスマスイブにギャングを壊滅させることを誓う」
 
 主演のジョエル・キナマンは声を失った男の役でしたので、息子を亡くした悲嘆に泣き叫ぶこともできず、あまりにも悲惨でした。しかし、声なき叫びが彼の悲しみの深さを見事に表現したとも言えます。ジョエル・キナマンは1979年、スウェーデンのストックホルム出身です。ヨエル・キナマンとも表記されます。高い評価を受けた2010年のスウェーデン映画「イージーマネー」、2014年にリメイクされた「ロボコップ」の主演などで知られます。現在45歳ですが、スクリーンに映った肉体美は素晴らしいものでした。言葉を発さずに復讐のための訓練を重ねる場面は鬼気迫るものがありました。
 
 この土日の2日間で、わたし 一条真也の映画館「アマチュア」、「プロフェッショナル」、「アンジェントルメン」、そして本作「サイレントナイト」と、4本の映画を観たわけですが、いずれも広い意味で殺し屋の映画でした。最もドラマティックだったのは「アンジェントルメン」でしたが、ちょっと戦闘シーンに現実離れした感がありました。最もリアリティのある戦闘を描いたのは「サイレントナイト」でした。相手を倒すだけでなく、攻撃した主人公も傷ついていくからです。殺しのスキルを持たない男が、愛する家族の命を奪った相手にたった1人で復讐する部分は、「アマチュア」と共通しています。もっとも、「アマチュア」は妻の復讐、「サイレントナイト」は息子の復讐の物語ですが......。
 
「アマチュア」といい、「サイレントナイト」といい、愛する人を亡くした人の悲嘆が描かれていました。そして、主人公たちはグリーフと向き合ううちに憎悪が生まれ、愛する者の命を奪った相手に復讐することを誓うのでした。一条真也の読書館『鬼滅の刃』で紹介した吾峠呼世晴氏の大ヒット漫画仇討ちの話ですが、最初の第一話で、主人公の竈門炭治郎が家族全員を鬼に殺されて、その復讐を誓います。わたしは、仇討ちというものの本質はグリーフケアにあるように思います。あとは、犯罪被害者が、自分の家族を殺めた殺人犯を、やはり捕まって死刑になってほしいと思っている人が多いと思いますし、これは「そんなふうに思ってはいけない」みたいなことを言う死刑反対論者がいますが、やはり自分の愛する者の命を奪った犯人が、死刑になることはグリーフケアとしてありうるのではないでしょうか。
 
 一条真也の映画館「ぼくは君たちを憎まないことにした」で紹介した2023年のドイツ・フランス・ベルギー合作映画があります。2015年のパリ同時多発テロ発生から2週間の出来事を描いた、アントワーヌ・レリスの原作を基に描く人間ドラマです。主人公のジャーナリストの妻が同時多発テロに巻き込まれて亡くなるのですが、彼はその日のうちに「僕はテロリストたちを恨まない、憎まないことにした」と声明を発表します。テロリストたちの目的は、憎しみの連鎖を起こして、この世界にヒビを入れることが目的だろうから、自分はその手は食わないというのです。 そして、「ぼくは君たちを憎まないことにした」というメッセージをFacebookで発信します。ものすごい大反響で、新聞やテレビからもたくさん取材を受け、彼はヒーローになります。しかし、その後、彼の心が悲鳴をあげてしまうのでした。彼のグリーフはケアされなかったのです。
「復讐とグリーフケア」について島薗先生と語り合う



 東京大学名誉教授で宗教学者の島薗進先生と小生の対談本『宗教の言い分』(弘文堂)がもうすぐ刊行されますが、わたしは対談の中で「自分の愛する者の命を奪った者に復讐したり、犯人が死刑になることはグリーフケアとしてありうるんでしょうか?」という質問を投げかけました。すると、島薗先生は「難しい質問ですね。キリスト教世界には、やっぱり『赦(ゆる)す』ということが非常に重要なコンセプトとしてあって、『汝の敵を愛せ』ということがあって、恨みの気持ちが出てきたときに、まずその観念が出てくるという。反射的にというかね。なので、すぐにそれは自分の心を鎮めようとしているというふうな意味があるんじゃないかと思います」と答えて下さいました。島薗先生が発言された内容はその通りだとは思いますが、やはり自分の家族を殺された者が「相手を殺してやりたい」と思うのは自然な感情ではないかとも思います。もちろん現実にはそんなことを実行するのは難しいわけですが、だからこそ「サイレントナイト」や「アマチュア」のような復讐映画が作られ続けるのではないでしょうか。そこには、映画としての最大のカタルシスがあるのです。