No.1056


 4月23日の夜、日本映画「おいしくて泣くとき」を丸の内ピカデリーで観ました。まったく予備知識がなかった作品ですが、ネットでの評価が高かったことと、「子ども食堂」が登場する作品だと知って鑑賞しました。脚本は雑な印象がありましたが、ラストはとても感動しました。

 ヤフーの「解説」には、「森沢明夫の小説『おいしくて泣くとき』を実写化したドラマ。ある男性が自分のもとから失踪した少女の秘密を知る。メガホンを取るのは『こん、こん。』などの横尾初喜。『HOMESTAY(ホームステイ)』などの長尾謙杜、『忌怪島/きかいじま』などの當真あみらが出演する」と書かれています。
 
 ヤフーの「あらすじ」は以下の通りです。
「幼いころに母親を亡くした心也と、家に居場所がない同級生の夕花は、ひょんなことから『ひま部』を結成する。孤独だった二人は交流を重ねるうちに心を通わせるが、ある出来事によって夕花は姿を消してしまう。それから30年が経ち、心也はやり場のない思いを抱え、夕花と交わした約束を胸に秘めながら、彼女が現れるのを待っていた。そんな中、心也は彼女のある秘密を知る」
 
 主人公の心也は高校生時代は長尾謙杜、大人になってからはディーン・フジオカが演じています。ディーン・フジオカはもちろん知っていましたが、長尾謙杜のことはまったく知りませんでした。「ちょっと田中圭に似てるな」と思いましたが、田中圭が永野芽依と不倫していたと報じた文春砲を知ったのは、この映画の鑑賞後でした。長尾クンはアイドルグループ「なにわ男子」のメンバーだそうです。旧ジャニーズ事務所のタレントですが、なかなかの名演技でした。もう1人の主演である當真あみは人気の若手女優だそうですが、あまりわたし好みのタイプではありませんでした。でも、主演に抜擢されただけあって、長尾謙杜と同じく演技には光るものがありますね。
 
 當真あみ演じる夕花と長尾謙杜演じる心也の2人は「ひま部」を結成し、学校の図書室を秘密基地と称しています。一条真也の映画館「Love Letter」で紹介した1995年の日本映画、 一条真也の映画館「君の膵臓をたべたい」で紹介した2017年の日本映画など、図書室を舞台に物語が展開される青春映画はじつに多いですね。思うに、図書室の書架は隠れ場所になるので、恋愛の舞台になりやすいのだと思います。ちなみに、「Love Letter」は前日に4Kリマスターを鑑賞したばかりでしたが、本作「おいしくて泣くとき」に通じる描写がありました。おそらく、横尾初喜監督は「Love Letter」に影響を受けているのではないでしょうか。だって、「お元気ですか?」「わたしは元気です!」という言葉も出てくるのですから!
 
 ともに15歳である心也と夕花は、孤独を感じながら生きています。心也は幼い頃に最愛の母を亡くし、夕花は実母の再婚相手が酒乱で虐待を受けています。そんな2人は学校でいじめに遭っていることもあり、次第に心を通わせていきます。わたしは2人の関係は「悲縁」によるものだと思いました。「絆(きずな)」には「きず」という言葉が入っているように、同じ傷を共有する者ほど強い絆が持てます。たとえば、戦友や被災者同士などです。心也と夕花の間にも絆がありますが、逃避行する列車の中で姪っ子の四十九日に参列するために喪服を着た安藤玉枝演じる女性から「生きていれば良いことがあるわよ」と言われ、「本当に生きていれば良いことがありますか?」と問い返す夕花の姿には泣けました。

 ひと夏の逃避行を企んだ心也と夕花は、心也が子どもの頃に家族と海水浴で訪れた海に向かいます。流れ星を見上げ、四葉のクローバーを探す2人の心は、「悲縁による絆を超えて恋愛感情となり、その想いを心也は告白します。そのとき、「俺は夕花が好きだ」とストレートに言うのですが、続けて「俺が夕花を守ってやる」とも言います。昨今は男性が女性を守るという構図は避けられる傾向にあり、「守ってやる」などというセリフも時代遅れかつアウトなのかもしれませんが、わたしはやはり男性が女性を守るのは当然であると思います。被災地の方に「がんばってください」は禁句だなどと決めつける言葉狩りの風潮もありますが、人間の正直な想いというものは「守ってやりたい」とか「がんばって」などのシンプルな言葉で表現されることが多いものです。心也が夕花に放った「俺が守ってやる」という言葉は、わたしの心に響きました。

 映画「おいしくて泣くとき」は、物語の主な舞台が町の小さな食堂です。その店では、「こどもごはん」と称して現在でいう「子ども食堂」も営んでいます。食堂の先代店主を演じたのが安田顕ですが、一条真也の映画館「35年目のラブレター」で紹介し日本映画での夜間中学の教師役と同じく、とても適役でした。子ども食堂の主人といい、夜間中学の教師といい、安田顕が演じる人物の人生はいつもコンパッションに溢れています。しかし、そんな彼を「偽善者」と決めつける人々もいます。親がそんなことを言うから、子もそれを信じて、心也は高校で不良たちから「偽善者の息子」といじめを受けるのでした。世のため人のためになることを行っている立派な人たちをディスる行為は絶対に許せません。そのシーンを観て、強い怒りをおぼえました。
「読売新聞」2021年12月9日朝刊



 わたしが社長を務める冠婚葬祭会社は、他者に思いやりを示す「コンパッショナリー・カンパニー」を目指しています。七五三や成人式といった冠婚葬祭衣装の無償レンタル、天然温泉の無料体験&子ども食堂の開設......これら一連の活動は、いわゆるSDGsにも通じています。SDGsは環境問題だけではありません。人権問題・貧困問題・児童虐待......すべての問題は根が繋がっています。そういう考え方に立つのがSDGsであるわけですが、その意味で入浴ができなかったり、満足な食事ができないようなお子さんに対して、見て見ぬふりはできません。「相互扶助」をコンセプトとする互助会こそはソーシャルビジネスであるべきです。たとえ「偽善者」ならぬ「偽善社」と呼ばれようとも、人々が助け合い、支え合う ハートフル・ソサエティの実現にはコンパッショナリー・カンパニーの存在が欠かせないと信じます。
 
 安田顕が演じた人情店主の「こどもごはん」は、ディーン・フジオカが演じた二代目店主に受け継がれました。そこには30年もの時間が経過しているはずですが、食堂は相変わらず火の車で、暴走車によって店が破壊された修理代も用意できない有様です。一方、「こどもごはん」の恩恵に預かった子どもの中には、長じて成功者になったり、バルコニー付の豪邸に住んでいる者もいるようです。わたしは、「ああ、コンパッションを示し続け、ケアを続ける者は、いつまでも経済的には恵まれないのだなあ」と思いました。逆に、コンパッションを示され、ケアされ続けた者の方が経済的に恵まれるということもある。しかし、だからといって、ケア者が敗者であるわけではありません。自らの良心に従って行動し、他者を幸せにできた人は明らかに人生の勝者なのです。
 
 ところで、この映画に登場する料理は、ひたすら、バター醤油焼きうどんでした。父子二代で作るバター醤油焼きうどんは豚肉も野菜もたっぷり入っていて、コーンをトッピングしたりなんかして、とても美味しそうでした。しかし、一般的なメニューである焼きそばではなく、焼きうどんというのが不思議でした。焼きうどんは、わたしが住む北九州市の小倉が発祥地とされています。終戦直後、鳥町食道街の「だるま堂」店主が、焼きそば用のそば玉がなかったため、干しうどんをゆがき焼いて出したところ大好評だったのが始まりだそうです。というわけで、小倉には焼きうどんの名店も多く、「焼きそばよりも焼きうどんが好き」という人も多いです。映画「おいしくて泣くとき」では、終始、焼きうどんが重要な役割を果たしており、ラストでもそうでした。最後の最後に「おいしくて泣くとき」のタイトルがスクリーンに映ったときは泣けましたね。