No.1090
6月25日は、ブログ「ヒューマンセレモニー学校講演」で紹介した講演と会食を終えた後、平塚から東京に移動し、ヒューマントラストシネマ有楽町で韓国のサスペンス映画「秘顔-ひがん-」のレイトショーを鑑賞。想像を絶する展開で、とても面白かったです。韓国映画の脚本の力を改めて見直しました。
ヤフーの「解説」には、「ある指揮者の婚約者の失踪をきっかけに始まるサスペンススリラー。婚約者の消息がつかめない中、指揮者とオーケストラの女性チェリストが禁断の関係に陥る。『男たちの挽歌 A BETTER TOMORROW』などのソン・スンホン、『パラサイト 半地下の家族』などのチョ・ヨジョン、『コンジアム』などのパク・ジヒョンらが出演。ソン・スンホン出演作『情愛中毒』などのキム・デウが監督を務めた」とあります。
ヤフーの「あらすじ」は、以下の通りです。
「気鋭の指揮者・ソンジンの婚約者で、オーケストラのチェリストでもあるスヨンが奇妙なビデオメッセージを残して姿を消す。思いがけない事態に動揺するソンジンだったが、公演のために対面した代理チェリストのミジュに心を奪われる。ある夜、二人はスヨンのいない寝室で関係を持ってしまうが、激しい情愛に溺れる様子を、消えたはずのスヨンが間近で見つめていた」
これは予告編でもはっきりと明かされているのでネタバレにはなりませんが、家出したと思われたスヨンは自宅の隠し部屋(物置)に閉じ込められたのです。その隠し部屋からは鏡越しに洗面所やバスルームの様子が見えるのですが、そこでスヨンが見たものは夫のソンジンとミジュが濃厚に愛し合う姿でした。わたしはこの設定に度肝を抜かれ、「江戸川乱歩みたいな世界だな!」と思いました。スヨンとミジュは同性愛の関係にもありましたが、ストーリーの流れを無視して強引にLGBTQを入れ込んでくる映画は嫌いですが、この「秘顔-ひがん-」なら、LGBTQでも何でも受け入れる気になりました。
わたしは「秘顔-ひがん-」の奇想天外な展開に圧倒されながら、主演の1人であるチョ・ヨジョンも出演した一条真也の映画館「パラサイト 半地下の家族」で紹介した2019年のアメリカ映画を連想しました。韓国のポン・ジュノ監督の大ヒット作です。韓国の半地下住宅に住むキム一家は全員失業中で、日々の暮らしに困窮していました。ある日、たまたま長男のギウ(チェ・ウシク)が家庭教師の面接のため、IT企業のCEOを務めるパク氏の豪邸を訪ね、兄に続いて妹のギジョン(パク・ソダム)もその家に足を踏み入れます。第72回カンヌ国際映画祭では韓国映画初となるパルム・ドール。第92回アカデミー賞では作品賞を含む6部門にノミネートされ、作品賞、監督賞、脚本賞、国際長編映画賞の最多4部門を受賞。この映画にも家屋の地下に隠し部屋が登場しましたが、韓国の家って、実際にこんな忍者屋敷みたいなものが多いのでしょうか?
また、2017年のTBS系ドラマの「カルテット」も連想。数々のヒット作を手がけた坂元裕二氏の完全オリジナル作品で、冬の軽井沢を舞台に巻き起こる大人たちの人間ドラマを描きます。松たか子、満島ひかり、高橋一生、松田龍平が演じる音楽家たちがカルテットを構成する物語で、謎の美女を吉岡里帆が演じました。なぜ「秘顔-ひがん-」を観て「カルテット」を思い出したかというと、ともにオーケストラの楽団員が登場する物語ということもありますが、「秘顔-ひがん-」で楽団長(スヨンの母親)を演じていた女優が藤原紀香によく似てからです。次に、スヨンは松たか子、ミジュは吉岡里帆に似ているような気がしてきて、「カルテット」を思い出した次第です。すると、ソンジンは高橋一生か松田龍平ということになりますね。
ところで、この日、市原泰人(サンレー グリーフケア推進室室長)、大谷賢博(サンレー北陸 紫雲閣事業部部長)の2人の上級グリーフケア士と一緒に「秘顔-ひがん-」を観ました。市原室長は、「失うことに対しての恐れもグリーフですし、失ってからの監禁し成り代わろうとする行為もグリーフが生み出したように思います。この3人は他の他人に相談するや語るという行為が見えなかったのも、この作品の中でグリーフを際立たせエスカレートしていく様を際立たせる効果があったように感じています。ラストシーンの3人の奇妙な調和は本当にこれでよかったのか?という思いとこういったかたちもあるのかという気持ちの両方があり、複雑です。この関係が持つ意味を考えさせられるものでした。作品の終わり方もその意味を考えさせる意図があるのではと思っています」との感想をLINEで送ってくれました。なかなか鋭い指摘ですね。
また、大谷部長も「婚約者スヨンの突然の失踪という『曖昧な喪失』。その喪失感情は、彼の心に大きな穴をあけ、それを埋めるようなミジュとの激しい情愛は、スヨンの不在を一時的に忘れさせてくれる麻酔のような危険な場所。それは真のグリーフケアではなく、スヨンの喪失と向き合うことなく、ミジュという代替品を求めることで、悲しみをなかったことにしようとすること。しかしこれもまた人間が生きようとする本能なのかと思いました。スヨンもミジュも、2人の女性の行動もまた、歪んだグリーフケアの表れ。登場人物すべてが、喪失の痛みを直視せず、欲望や嫉妬、支配欲といった感情に翻弄され、破滅的な状況へと突き進んでいく恐ろしさ。ラストシーンの『誰も何も失わない』という結末は、ある意味、喪失を受け入れ、新たな関係性を築くことで、悲しみを乗り越えることができるというメッセージかもしれないと思いました」との感想をLINEで送ってくれました。こちらも鋭い!
『心ゆたかな映画』(現代書林)
このように、市原室長も、大谷部長も、上級グリーフケア士らしい映画評を送ってくれたのです。わたしは、「この2人と『秘顔-ひがん-』を観て良かった」と思いました。わたしは、よく社員と一緒に映画鑑賞します。その後、映画の内容や感想について語り合うのですが、これは非常に貴重な学びを与えてくれます。映画の感想というものは、当人の倫理観・人生観・仕事観などが反映されており、さらには人間性までがそこに込められています。それを知ることはマネジメントの上でも大変有益なのです。最近は、一条真也の映画館「フロントライン」で紹介した作品をわが社の北陸本部の幹部社員たちと、一条真也の映画館「罪人たち」、「木の上の軍隊」で紹介した作品を沖縄本部の幹部社員たちと一緒に観て、鑑賞後には意見交換しました。わたしは今、シネマ+マネジメントとしての「シネマネジメント」というべきメソッドを開発している気がしています。なので、『心ゆたかな映画』(現代書林)の次のわたしの映画本のタイトルは『シネマネジメント』になるかもしれません。