No.1127
イギリス・ポーランド・日本合作映画「遠い山なみの光」をローソン・ユナイテッドシネマ小倉で観ました。ノーベル文学賞作家のカズオ・イシグロの長編デビュー小説の映画化ながら、賛否両論の評価のようですね。でも、123分の上映時間、まったく飽きずに観ることができました。映画として大変面白かったので、夢中になって観ました。なお、本作は今年観た140本目の映画です。
ヤフーの「解説」には、こう書かれています。
「カズオ・イシグロが太平洋戦争終戦直後の長崎と1980年代のイギリスを舞台に描いた長編デビュー小説を、『ある男』などの石川慶監督が映画化したヒューマンミステリー。戦後にイギリスに渡ってきた長崎出身の女性が、若いころに長崎で知り合った謎めいた女性について回想する。主人公を『怒り』などの広瀬すず、彼女が知り合う女性を『翔んで埼玉』シリーズなどの二階堂ふみが演じる」
ヤフーの「あらすじ」は、以下の通りです。
「日本人の母とイギリス人の父のもとに生まれたニキは、大学を中退し、作家を目指しながらロンドンで暮らしていた。母の悦子(広瀬すず)は長崎で原爆を経験し、戦後にイギリスに渡った後、今は一人で生活している。悦子は訪ねてきたニキに対し、終戦間もない長崎で知り合った謎めいた女性・佐知子(二階堂ふみ)とその娘の夢をよく見るようになったと語り始める。
原作小説について、アマゾンには「イギリスで暮らす悦子は、娘の自殺に直面した喪失感のなか、故郷の日々に思いを馳せる。戦後の長崎、復興しつつある街で、彼女は佐知子に出会った。娘を一人で育て、男と渡米する夢にすがる佐知子は、現実的な悦子とは対照的に見えた。だが回想するうち、悦子の記憶は揺らぎ、不穏の色を濃くしていく。時代に翻弄されながら自らの道を生きる人々の姿を描いたイシグロのデビュー作。映画化原作」と書かれています。また、文庫版「解説」には、文芸評論家の三宅香帆氏が「カズオ・イシグロが故郷を描くとき、そこにあるのはいつも、後悔と喪失の記憶である。美しい故郷とは、それが美しければ美しいほど、美しさを見出したいくらい後悔した記憶を抱えている。そいうことについて、書いた小説である」と書いています。
ネットを見ると、この映画、とても賛否両論です。「物語がつまらない」「大したトリックじゃない」「ノーベル文学賞が原作という上から目線が鼻につく」などのバッドコメントも多いですが、「とんでもない傑作!」「大ヒット中の『国宝』と並ぶ日本映画の名作」という声もあります。たしかに物語は起伏が少なく、ドラマ性に欠けるのですが、わたしは面白く観ました。それよりも、「この映画、カンヌ狙いで作ったな」という感想を持ちました。日本国籍を捨ててイギリス国籍を持つカズオ・イシグロが原作者で、映画にもエグゼクティブプロデューサーとして参加しているところも、そう感じさせますね。
この映画の冒頭、朝刊のトップに連続幼児絞殺事件の記事が掲載されている場面が出てきます。松下洸平演じる二郎と広瀬すず演じる悦子の若夫婦は「物騒やねえ」と気味悪がりますが、この不気味な事件がいきなり最初に登場することによって、この「遠い山なみの光」という物語全体に不穏な空気を漂わせます。そして、その後に漂い続ける不穏さは物語から来るというよりも、石川慶監督の作風から来るように思えました。ポーランドで映画作りを学んだ石川監督は光の使い方が独特ですが、本作でも、登場人物を赤い光で包んだり、行方不明になった子どもを探すとき、人工的な夜(アメリカの夜)で演出したり......その手法は、ホラー映画に通じるものを感じました。
広瀬すず演じる悦子は、長崎で二階堂ふみ演じる佐知子という女性に出会います。佐知子には万里子という娘がいた。万里子は孤独で反社会的な少女でしたが、彼女が捨て猫を拾ったとき、近所の男の子たちからいじめられているところに遭遇した悦子は、万里子の後を追って佐知子が住む川べりのバラック小屋を訪れたのです。このときの悦子と佐知子の会話のやりとりがなかなか見もので、異様な緊張感が漂っていました。広瀬すずと二階堂ふみという日本映画界を代表する女優同士の競演に魅せられました。それにしても、27歳になったという広瀬すずの透明感溢れる美しさには脱帽です。最近、結婚を発表したばかりの二階堂ふみも美しかったですね。
この映画には、広瀬すず、二階堂ふみと並んで、もう1人、吉田羊という主演女優がいます。この吉田羊の存在感も際立っていました。もともと、この「遠い山なみの光」という物語は、彼女が演じる1980年代の悦子の語りから生まれた物語です。長崎出身で現在はイギリスの片田舎に住む悦子の所へ、娘のニキ(カミラ・アイコ)がロンドンから訪ねてきます。悦子はニキとのさまざまな会話を通して、日本での若い女性としての自分の人生と、イギリスに住むために日本を離れた経緯を振り返るのですが、そこには消えない違和感がありました。思い出を語る悦子を案じる吉田羊の英語は流暢でしたね。あと、出演者の中では、悦子の義父を演じた三浦友和がすごく良かったです!
この物語の構造について語ることはネタバレになる危険を孕むので注意が必要ですが、すべては「人間はね、ときに他人を欺くためでなく、自分を騙し、困難な真実から目を背けるために嘘をつくんですよ」というカズオ・イシグロの言葉に集約されるでしょう。彼は幼少期に長崎に住んでいたそうですが、そのときの記憶もかなり嘘が混じっていると告白しています。1954年生まれの彼は、5歳のとき、海洋学者の父親の仕事の関係でイギリスに渡り、以降、日本とイギリスの2つの文化を背景に育ちました。その後英国籍を取得。ケント大学で英文学を、イーストアングリア大学大学院で創作を学びました。1982年の長篇デビュー作『遠い山なみの光』で王立文学協会賞を、1986年発表の『浮世の画家』でウィットブレッド賞を受賞。1989年発表の第三長篇『日の名残り』では、イギリス文学の権威ある文学賞ブッカー賞に輝いています。2017年にはノーベル文学賞を受賞。2018年に日本の旭日重光章を受章し、2019年には英王室よりナイトの爵位を授与されました。
映画「遠い山なみの光」のエグゼクティブプロデューサーを務めたカズオ・イシグロは、「今年は公開するのに最適の時期だと思います。あの戦争は、どの国にとっても大きな出来事だった」とコメントしています。そう、今年は第二次世界大戦の終結から80年目。そして、イシグロの故郷である長崎に原爆が落とされてから80年目でもあります。劇中で、被爆者差別の描写があったことには心が痛みましたが、悦子の孫娘であるニキの不倫相手の男性が長崎ことを広島と言い間違えたことも印象的でした。実際、欧米では長崎よりも広島の方が圧倒的に知られています。一説によれば、アメリカは広島原爆のことは報道しても長崎原爆は報道したがらないとか。それは教会を破壊し、キリスト教徒を殺戮したという事実を封印したからです。アメリカはプロテスタントで、長崎はカトリックが主流でしたが、同じイエス・キリストの子らを大量殺戮したことはキリスト教国家・アメリカにとっても大きなトラウマなのでしょう。しかし、それがゆえに長崎原爆を歴史から消し去るようなことは絶対に許されません。
終戦80年となる2025年、戦争をテーマにしたドラマやドキュメンタリーの名作が多かったですが、その中には一条真也の映画館「長崎―閃光の影で―」がありました。わたしは、8月9日の「長崎原爆の日」の当日に鑑賞しました。日本赤十字社の看護師たちが被爆から35年後に記した手記を原案に描くヒューマンドラマ。原爆投下直後の長崎を舞台に、被爆者救護にあたった看護学生たちの1か月を映し出します。原爆投下直後の長崎の街の悲惨さに息を呑みました。また、一条真也の映画館「国宝」で紹介した日本映画の冒頭は長崎が舞台ですし、一条真也の映画館「夏の砂の上」で紹介した日本映画も長崎が舞台です。今年の日本映画界は長崎づいていますが、「遠い山なみの光」で描かれた1952年の長崎の街は希望に満ちていました。映画館では黒澤明監督の「生きる」と小津安二郎監督の「お茶漬けの味」が上映されていましたね。ともに1952年公開の名作です。このとき日本映画界の黄金期でしたが、今年はその再来かも?
それにしても、「遠い山なみの光」という映画はすっきりしない内容です。ラストである謎は解けるのですが、それでも観客の心にはモヤモヤが残り、カタルシスとは程遠いです。U―NEXTでは、「【期間限定公開】謎めぐる旅 〜映画『遠い山なみの光』を読み解く5つのヒント〜」という動画を公開しています。わたしも観ましたが、第一のヒント「これは誰の視点から語られた物語?」、第二のヒント「英語を話せるのは誰? なぜ?」、第三のヒント「少なくとも5組の親子が登場する」、第四のヒント「幾重にも惹かれた‟境界線"に注意せよ」、第五のヒント「‟縄"がもたらす悲劇から目を背けるな」が挙げられています。これは「ネタバレになるんじゃないの?」という思いと、「これだけでは何のヒントにもならないよ」といった矛盾した思いも浮かびます。正直、ストーリーだけだと不満も感じる作品ですが、石川監督の達意の演出と俳優陣の熱演に敬意を表して、一条賞の候補作に加えます。