No.1296
6月26日、大雨の中、北九州市の戸畑周辺の自社施設を回りました。その帰りに、ドイツ・フランス・ベルギー・日本合作映画「急に具合が悪くなる」をイオンシネマ戸畑で鑑賞。第79回カンヌ国際映画祭で主演の2人が最優秀女優賞を受賞した話題作ですが、上映時間がなんと196分。それでも、飽きずに一気に観れました。大傑作です!
ヤフーの「解説」には、「宮野真生子と磯野真穂の著書を原作に描くヒューマンドラマ。パリ郊外を舞台に、介護施設の施設長と、がん治療中の日本人演出家との交流を映し出す。監督などを手掛けるのは『ドライブ・マイ・カー』『悪は存在しない』などの濱口竜介。『ベネデッタ』などのヴィルジニー・エフィラ、『ウルヴァリン:SAMURAI』などで俳優としてだけでなく、モデルや監督としても活動する岡本多緒らがキャストに名を連ねる」と書かれています。
ヤフーの「あらすじ」は、以下の通りです。
「マリー=ルー・フォンテーヌ(ヴィルジニー・エフィラ)は、フランスのパリ郊外にある介護施設『自由の庭』の施設長を務めている。尊厳を持った一人の人間に対するケアを理想に掲げながらも、人手不足やスタッフの理解のなさなどに彼女は頭を悩ませていた。そんな折、マリー=ルーはがん闘病中の日本人演出家である森崎真理(岡本多緒)と出会い、二人の間で交流が始まる」
原作の『急に具合が悪くなる』宮野真生子・磯野真穂著(晶文社)のアマゾン「内容紹介」には、「哲学者と人類学者の間で交わされる『病』をめぐる言葉の全力投球。共に人生の軌跡を刻んで生きることへの覚悟とは。信頼と約束とそして勇気の物語。もし、あなたが重病に罹り、残り僅かの命言われたら、どのように死と向き合い、人生を歩みますか? もし、あなたが死に向き合う人と出会ったら、あなたはその人と何を語り、どんな関係を築きますか? がんの転移を経験しながら生き抜く哲学者と、臨床現場の調査を積み重ねた人類学者が、死と生、別れと出会い、そして出会いを新たな始まりに変えることを巡り、20年の学問キャリアと互いの人生を賭けて交わした20通の往復書簡」とあります。
とにかく上映時間が3時間16分もある映画なので、観る前はそれなりの覚悟を必要としました。じつは、この数日というもの腹の調子が悪かったので、映画鑑賞中に急に具合が悪くなってもいいように(笑)正露丸を持参しました。また、久々に訪れたイオンシネマ戸畑の座席が硬くて腰が痛くなりました。それでも、そんな些事は忘れてしまうほど、映画そのものが想像を超える傑作でした。ともにカンヌ国際映画祭の最優秀女優賞を受賞したヴィルジニー・エフィラと岡本多緒の存在感と演技、そして外国語(エフィラは日本語・岡本はフランス語)の発音が素晴らしかった! 上映時間が長いというより、まったく現実とは異なる時間を体験した気分になりました。これぞ映画の醍醐味です!
「急に具合が悪くなる」は、わたしが普段から考え続けている「ケア」についての映画でした。人間なら誰でも病やケガ、衰弱や死は避けて通れません。自分や親しい人が苦境に立たされたとき、わたしたちは「独りでは生きていけない」ことを痛感します。そうした人間の弱さを前提とした上で、生を肯定し、支える営みがケアなのです。「急に具合が悪くなる」では、ユマニチュードというケア技法が登場します。「人間らしくある」という意味を持つフランス発祥のケア技法です。認知症の方に対し、「あなたのことを大切に思っています」というメッセージを、アイコンタクト・声かけ・触れ方を通じて相手が確実に受け取れる形で伝えるコミュニケーション方法です。
ユマニチュードは、体育学の専門家であったイヴ・ジネスト氏とロゼット・マレスコッティ氏によって40年以上の経験をもとに構築されました。具体的なケアにおいては、以下の「4つの柱」をすべて組み合わせてコミュニケーションを行うのが特徴です。それは、見る(Look): 正面から同じ目線で、近くで長く見つめる。相手の視野に確実に入り、「あなたを尊重している」ことを伝える。話す(Speak): 穏やかで優しいトーンで、前向きな言葉(ポジティブな表現)を使って語りかける。触れる(Touch): 優しく広い面積で触れる。掴むのではなく、下から支えるように手を添える。立つ(Stand): 寝たきりを防ぎ、自力で立つことを促す。立つことは人間としての尊厳や機能を保つことに繋がる。以上が「4つの柱」です。
ユマニチュードにおいては、ケアを行う際は一方的にならないよう、「出会いの準備」「ケアの準備」「知覚の連結」「感情の固定」「再会の約束」という5つのステップを踏むことが推奨されています。これらを徹底することで、ケアに対する拒絶や問題行動(BPSD)の緩和、そして介護者の負担軽減に大きな効果があるとされています。そんなユマニチュードを描いた本作「急に具合が悪くなる」ですが、一条真也の映画館「廃用身」で紹介した日本映画も同じように介護ケアをテーマにしています。老齢期医療をめぐる問題をテーマにした久坂部羊の小説デビュー作『廃用身』を実写化したドラマです。あるクリニックで行われている、画期的な治療が思いも寄らない事態を引き起こす。「急に具合が悪くなる」と「廃用身」は同じモチーフを持ちながら、異なったアプローチの作品であると言えるでしょう。
本作は、介護施設「自由の庭」のディレクターであるマリー=ルーと舞台演出家の真理の相互ケアの物語でした。ブログ「葬祭責任者会議」で紹介した今月23日の社長講話でも話したのですが、真の奉仕とは、サービスではなく、ケアの中から生まれてくるものだと言えます。ここでいう奉仕とは、自分自身を大切にし、その上で他人のことも大切にしてあげたくなるといったものです。「情けは人の為ならず」と日本でも言いますが、他人のためになることが自分のためにもなっているというのは、世界最大の公然の秘密の1つなのです。映画「急に具合が悪くなる」には、その秘密が見事に描かれていました。特に真理の容態が急変してマリー=ルーが日本に連れ帰ったとき、真理が「日本まで来てくれて、ありがとう」と感謝の言葉を述べるのですが、マリー=ルーは「来させてくれて、ありがとう」と返します。この「ありがとう」の応酬こそが「ケア」なのです。その後、2人が京都の山でカップラーメンを啜りながら夜明けを迎えるシーンはあまりにも美しかったです。
マリー=ルーを演じたヴィルジニー・エフィラ、真理を演じた岡本多緒の2人はカンヌ国際映画祭の最優秀女優賞に輝きましたが、俳優の清宮吾朗を演じた長塚京三も良かったです。現在80歳という彼は、フランスへの留学経験があるだけにフランス語の発音が素晴らしかったですね。ただ、劇中で彼が独り芝居のように披露する演劇には、わたしは何も感じるものがありませんでした。あれを観て「感動した」などと言う観客の存在はリアリティを欠いていました。長塚京三といえば、一条真也の映画館「敵」で紹介した2025年の日本映画の主演作が印象に強く残っています。筒井康隆の小説『敵』を実写化したドラマですが、この作品を観て、わたしは彼を見直しました。妻に先立たれた元大学教授が、徹底した自己管理のもと穏やかな生活を送る中で、不測の事態に襲われる物語です。長塚京三には知的な役が似合いますね。
一条真也の映画館「箱の中の羊」、「黒牢城」、そして本作「急に具合が悪くなる」と、今年のカンヌ国際映画祭は3本の日本映画が注目を集めました。濱口竜介監督の師匠にあたる黒沢清監督は、「急に具合が悪くなる」を素直に絶賛していました。最優秀主演女優賞のW受賞という栄誉に浴した「急に具合が悪くなる」に比べ、「箱の中の羊」は酷評を浴びましたが、それはフランスを代表する作家サン=テグジュペリの『星の王子さま』に登場する羊のエピソードをタイトルにするという、いかにも取って付けたようなフランス文化への媚びを観客が敏感に感じたからだと思います。一方、「急に具合が悪くなる」にはフランス語と日本語が自由に行き交いながらも、両国の文化を超えて、「病」や「死」や「ケア」といった人類にとっての普遍的な問題を真摯に描いたからにほかなりません。
『満月交命 ムーンサルトレター』
それにしても、この映画の原作が往復書簡集であったというのが信じられません。映画の中には哲学者による資本主義の構造についての講義がかなりの長さで展開されますが、これも原作に基づいているのでしょう。そんな原作をここまで完成された映画に仕上げたのはひとえに濱口監督のセンスと力量でしょうが、わたしには映画の原案となった『愛する人を亡くした人へ』(現代書林・PHP文庫)という著書がありますが、「もっと、本のメッセージを映画に反映してほしかった!」という忸怩たる思いがありました。映画「急に具合が悪くなる」を観たとき、「濱口さんのような人に『愛する人を亡くした人へ』を映画化してほしかった!」と強く思いました。そして、わたしには映画化を希望する往復書簡集があります。昨年5月30日に帰幽したわが魂の義兄である鎌田東二先生とわたしの往復書簡集である『満月交命 ムーンサルトレター』(現代書林)です。ここには、宮野真生子と磯野真穂の共著と同じように、「病」と「死」と「ケア」について直球で語られています。
京都大学名誉教授にして日本を代表する宗教哲学者であった鎌田先生は、「急に具合が悪くなる」の真理のようにステージ4のがん患者でありながら、八面六臂の大活躍でした。その元気な姿に驚きつつも、わたしは「どうか無理をしないで療養に専念してほしい」と思い続けてきました。鎌田先生からのレターを読むたびに、わたしは「これは命の一部だ」と思いました。命とは「使命」であり、「天命」であり、何よりも「生命」です。20年ものあいだ文通が続いたことは、とりもなおさず、わたしたちが20年間生きてきたということです。わたしたちはWEB上で言葉の交換をしながら、互いの使命や天命をレターの交換によって確認し、激励し、鼓舞し合ってきました。そして、まさに生命としての「命」を交換してきたように思います。そして、驚くほど元気だった鎌田先生は、ある日、急に具合が悪くなって旅立って行かれました。わたしは「急に具合が悪くなる」を観ながら、ずっと鎌田先生のことを考えていました。
「死は光源である!」
「命」の輪郭をくっきりと示すものこそ「死」です。ブログ『日本人の死生観Ⅱ 霊性の個人史』で紹介した鎌田先生の遺作には、ステージⅣのがんになってから元気になったとして、「元気が出た。覚悟が定まり、余分なものが削がれて、スッキリしたことは確かだ。生のかたちがシンプルになり、いのちのいぶきに素直になったのだ。だから、ずいぶん楽になったし、ある意味、楽しくなった。というより、たのしいことしかしたくない」と書かれています。また鎌田先生は、「死は光である。死は光の元、すなわち、光源である。それは、くっきりと生を、いのちを照らしてくれる」とも述べられました。「死は光源である!」という死生観は、「死」の不安に怯える多くの人々の心の闇を明るく照らしてくれることでしょう。多死社会の今、『満月交命 ムーンサルトレター』が映画化される日を夢見ています。


