No.886


 5月17日から公開の日本映画「ミッシング」をシネプレックス小倉で観ました。石原さとみが怪物級の演技をしていると評判になっていますが、本当に凄かったです。彼女の女優魂をも超えた憑依の凄まじさに感動すら覚えましたね。これはもう、一条賞大賞の有力候補作品であります!
 
 ヤフーの「解説」には、こう書かれています。
「『ヒメアノ~ル』『BLUE/ブルー』などの吉田恵輔監督がドラマ『アンナチュラル』などの石原さとみを主演に迎えたヒューマンドラマ。失踪した娘を捜す母親が焦りや怒り、夫婦間の溝、インターネット上での誹謗中傷などにより心をむしばまれていく。青木崇高や森優作、有田麗未などが共演する」
 
 ヤフーの「あらすじ」は、以下の通りです。
「沙織里(石原さとみ)の娘・美羽(有田麗未)が失踪して3か月。沙織里は世間が事件への関心を失っていくことに焦り、夫の豊(青木崇高)との間にも溝ができ、二人は言い争うことが増えていた。そんな中、美羽の失踪時に沙織里がアイドルのライブに行っていたことが露見し、彼女はインターネット上で誹謗中傷を受けるようになる」
 
 とにかく「ミッシング」を観終わった直後は一種の放心状態となり、「凄いものを観てしまった」という思いでした。胸糞の悪い、不愉快な、救われないような感情を伴う作品でした。「以前も、こんな嫌な感じの映画を見たことがあるな」と思ったら、一条真也の映画館「空白」で紹介した同じく吉田恵輔監督の作品でした。2021年公開です。古田新太と松坂桃李が共演を果たしたヒューマンドラマで、万引きを目撃され逃走中に車と衝突した女子中学生の死をめぐり錯綜する、被害者の父親と事故に関わる人々の姿を描写しています。わたしは、ブログに「これほど不快感のある、やりきれない、登場人物が全員不幸で、ひたすら辛い映画もなかなかないと思います。しかし、これほど感動する映画もなかなかありません。多大なストレスを観客に与え続け、最後には少しだけカタルシスを与えるグリーフケア映画の大傑作でした」と書いています。
 
 吉田恵輔監督の映画では、一条真也の映画館「神は見返りを求める」で紹介した2022年の作品も観ました。YouTuberを題材に描くラブストーリーです。見返りを求めない優しい男性とどん底YouTuberの関係を映し出した物語です。イベント会社で働く田母神尚樹(ムロツヨシ)は、YouTuberの川合優里(岸井ゆきの)と合コンで出会います。再生回数の少なさに頭を悩ませる優里に同情した田母神は、彼女のYouTubeチャンネルを見返りを求めることなく手助けします。人気が出ないながらも彼らは前向きに努力を続け、お互い良きパートナーになっていきますが、あることをきっかけに二人の関係が大きく変化するのでした。この映画も、やはり、胸糞の悪い、不愉快な、救われないような感情を伴う作品でした。
 
「空白」も、「神は見返りを求める」も、そして「ミッシング」も、吉田監督はメガホンを取るだけでなく脚本も書いています。これほどストレスフルな物語を考えて、映画化する精神力には感服する他はありません。吉田監督はいつも現代社会が抱える問題を抉り出しますが、今回は子どもが行方不明になる未解決事件を軸に、テレビ報道のあり方、さらにはネットによる誹謗中傷といった問題をシリアスに描いています。観ていて辛くなり、上映時間の2時間が精神的拷問に感じられるほど辛い作品でした。
 
 この映画で何より特筆すべきは、主演の石原さとみの鬼気迫る演技です。石原さとみといえば唇がチャームポイントですが、この映画ではリップクリームを使わずに唇は常に荒れ、髪はボサボサで、服とメイクは質素でした。撮影中、彼女は役作りのために髪をシャンプーではなくボディソープで洗ったとか。さらには、肌をガサガサにして体を緩めるために添加物の多い食事をあえて取ったというから驚きます。世界の美女ランキングにも選出されるほどの「美」の象徴だった彼女は完全に破壊され、わが子の失踪で極限まで崩壊していく母親になり切っています。吉田監督とのタッグを熱望し続けた彼女が、出産後初の映画撮影として1年9カ月ぶりに芝居に臨んだ作品ですが、完全に役が憑依していると思いました。石原さとみ以外の俳優陣も熱演で、沙織里の夫・豊を演じた青木祟高、地方テレビ局の記者・砂田を演じた中村倫也も良かったです。
 
 しかし、石原さとみ以外で真に注目すべきは沙織里の弟・圭吾を演じた森優作でした。1989年大阪府出身の34歳の俳優ですが、俳優になる前は通訳を目指していて、17歳から20歳までイギリスに留学していたそうです。2013年に古厩智之監督のワークショップに参加し、映画『「また、必ず会おう」と誰もが言った。』で俳優デビュー。2015年、フィリピンのレイテ島を舞台に第2次世界大戦末期の日本兵たちの死闘を描いた塚本晋也監督の映画「野火」で過酷な体験をする若い兵士・永松役をオーディションで射止めたのをきっかけに、俳優として本格始動。一条真也の映画館「シン・ゴジラ」「シン・ウルトラマン」「花束みたいな恋をした」で紹介した映画にも出演していますが、わたしの記憶には残っていません。彼を意識して観たのは「ミッシング」が初めてですが、その不審さというか、不安定な人間を演じさせたら最高!
 
 映画「ミッシング」では、6歳の女の子が失踪します。公園からの帰宅途中でしたが、自宅までのわずか300メートルの間に忽然と姿を消したのです。その不条理にして恐ろしい出来事から、この物語は始まります。警察庁の統計によると全国の行方不明者は年8万人超。うち、9歳以下の子どもが1000人以上もいるそうです。子どもの失踪は、誘拐・監禁といった事件性を帯びてきます。1990年に新潟県三条市で女児(当時9)が行方不明になり、中年男性によって9年以上監禁された事件や、2014年に埼玉県朝霞市で少女(当時13)が誘拐され、大学生によって2年間監禁された事件などは、世間を震撼させました。それにしても、毎年、1000人を超える子どもたちが失踪しているという事実の前には言葉を失ってしまいます。幼い子どもや孫のいる人にとって、「ミッシング」で描かれた悲劇は"自分にも起こり得る物語"です。

愛する人を亡くした人へ』(現代書林)
 
 
 
 来年1月公開予定の映画「君の忘れ方」(作道雄監督)の原案である拙著『愛する人を亡くした人へ』(現代書林)にも書きましたが、子を亡くした人は未来を失います。そして、グリーフケアの世界では、「幼いわが子を失った母親の悲嘆は最低でも10年続く」と言われます。しかし、それはあくまでも子どもが死亡したときの話で、行方不明の場合は生死がわからないわけですから、親は絶望と希望の両方を抱えて生きなければなりません。亡くなったとわかっていれば、葬儀や供養にエネルギーを注力することができます。誘拐や殺害の犯人が見つかったのなら、犯人が極刑を受けることにエネルギーを注力することができます。しかし、現実は、わが子が忽然と消えたという事実のみであり、事件か事故か、生きているのか死んでいるのか、何もわかりません。親は「曖昧な悲嘆」を抱いたまま、気持ちの持って行く場がありません。この「宙吊りになった心」を抱えることほど辛いことはないでしょう。
 
 映画の中で、「ヤクルト1000が売り切れている」とスーパーの店員にクレームをつける主婦や、商店街で肩がぶつかったと口論している男女などが登場します。その脇を沙織里が通り過ぎていくのですが、これは見事な演出であると思いました。沙織里の深い悲しみに比べれば、彼らの騒いでいることなど取るに足りない些細な問題です。でも、その対比よりも、宙吊りになった心を抱えている沙織里に比べて、彼らは「怒り」という形で気持ちを向ける先を持っているということが言いたかったのではないでしょうか。気持ちの持って行く先がわからないほど辛いことはありません。石原さとみは、自らが幼いわが子を持ったことによって、沙織里の深い悲しみを理解しているように思えてなりません。いや、きっと天才女優である彼女に沙織里が憑依したのでしょう。映画の完成披露試写会の冒頭挨拶から号泣した彼女の涙を見て、そのように感じました。
 
 石原さとみにとって、「ミッシング」は出産後初の映画撮影として1年9カ月ぶりに芝居に臨んだ作品であり、わが子の失踪で極限まで崩壊していく母親を見事に演じました。公開記念舞台挨拶では、「先日家族と大きな公園でピクニックしていた時に、迷子のお知らせが耳に入って、気になってしょうがなくて。見渡すと、すごい叫んでいるお母さんがいて。その本当に鬼気迫る表情と声に胸が締め付けられるほど苦しく、怖くなって。40分近く私も探していたんですが、帰り際に係の方に、もう一度特徴教えてくださいって言ったら、たった今見つかりましたって。本当によかったと泣けてきて...」と、役の痛みを背負い続けていることを明かしました。それを横で聞いていた青木祟高は泣いていました。そういえば、映画のラスト近くで彼が演じる豊が男泣きするシーンがありましたね。他人のコンパッションに触れたときの切なく美しい涙で、わたしも貰い泣きしました。
 
 それにしても、「ミッシング」は凄い映画でした。特に、石原さとみが凄すぎました。映画の予告編にも登場しますが、取材してくれるテレビ局のロケ車に追いすがり絶叫する表情は日本映画史に残るものだと思います。また、森優作が演じる不甲斐ない弟の髪を引っ張りまくり罵倒するシーン、さらには詳しくは書けませんが、終盤の警察署でついに「ぶっ壊われてしまう」シーンには、これまでに数えきれほど多くの映画を観てきたわたしでも呆然とする神レベルの演技でした。石原さとみは、7年前から「自分を壊してください」と吉田監督に懇願したといいます。その結果、「待望の復帰作」とか「体当たりの演技」とか「新境地開拓」といったありきたりな言葉ではとても表現できないレベルでの「シン・石原さとみ」が誕生しました。
 
「ミッシング」の沙織里は、最愛のわが子を失いましたが、彼女は孤独ではありませんでした。同じ悲しみを共にする夫の豊がいますし、ボランティアで情報提供のビラ配りなどに協力してくれる善意の人々もいました。まさに「人は残酷であり、人は優しい」というメッセージを感じました。映画の最後には、部屋の中に射し込んだ虹のような光に手を伸ばす彼女の姿にかすかな希望を感じました。「彼女をわが子に会わせてあげたい」と強く思いましたが、そのとき、まったく思いがけなく横田早紀江さんの顔が心に浮かんだのです。北朝鮮による拉致被害者・横田めぐみさんの母で、現在88歳になる早紀江さんは「生きている間に一目会いたい」と切実な思いを語ったニュースを最近見たのです。なんとか、母娘が再会できることを心の底から祈っています。