No.1026


 3月1日の夜、アメリカ映画「名もなき者/A COMPLETE UNKNOWN」を小倉コロナシネマワールドで観ました。とにかく、主演のティモシー・シャラメが素晴らしい! ボブ・ディランになりきっています。ノミネートされている第97回アカデミー賞の主演男優賞を受賞することは確実ではないかと思いました。
 
 ヤフーの「解説」には、こう書かれています。
「『ライク・ア・ローリング・ストーン』など数々の名曲を生み出し、世界に影響を与え続ける伝説的ミュージシャン、ボブ・ディランの伝記ドラマ。1960年代のアメリカ・ニューヨークの音楽シーンを舞台に、ミネソタ出身の無名ミュージシャンだった彼がスターダムにのし上がるさまを描く。監督は『ウォーク・ザ・ライン/君につづく道』などのジェームズ・マンゴールド。若き日のディランを『君の名前で僕を呼んで』などのティモシー・シャラメが演じるほか、エドワード・ノートン、エル・ファニング、モニカ・バルバロらが共演する」
 
 ヤフーの「あらすじ」は、「1961年、アメリカ・ミネソタ出身の19歳の若者ボブ・ディラン(ティモシー・シャラメ)がニューヨークに降り立つ。そこで恋人となるシルヴィ・ルッソ(エル・ファニング)、フォーク歌手ジョーン・バエズ(モニカ・バルバロ)や彼の才能を認めるピート・シーガー(エドワード・ノートン)ら先輩ミュージシャンたちとの出会いを経て、フォークミュージックシーンの中で注目を浴びるようになっていく」です。
 
 この映画は特定のミュージシャンの伝記映画ですが、このジャンルには、 一条真也の映画館「ボヘミアン・ラプソディ」、 「ロケットマン」、 「エルヴィス」、「ホイットニー・ヒューストン I WANNA DANCE WITH SOMEBODY」、「ボブ・マーリー:ONE LOVE」などで紹介した作品群があります。それぞれ、フレディ・マーキュリー、エルトン・ジョン、エルヴィス・プレスリー、ホイットニー・ヒューストン、ボブ・マーリーといった偉大なミュージシャンたちの伝記映画です。本作の主人公であるボブ・ディランの名前を初めて知ったのは、小学生の頃に聴いたガロの「学生街の喫茶店」の中の「学生で賑やかなこの店の片隅で聴いていたボブ・ディラン♪」という歌詞でした。その後、名前は知っていても彼の人生や曲はよく知らなかったのですが、この映画を観ていろいろ知識を得ました。

 ボブ・ディランは米・ミネソタ州生まれ。大学を中退してニューヨークに向かい、カフェでフォーク・ソングを歌っていたところを、プロデューサーの目に留り、1962年にレコード・デビュー。フォーク〜ロックの時代を超えて現在まで、世界中に影響を与え続ける音楽界の最重要人物です。グラミー賞やアカデミー賞をはじめ数々の賞を受賞し、ロックの殿堂入りも果たしています。また長年の活動により、2012年に大統領自由勲章を受章。2008年にはピューリッツァー賞特別賞を、2016年には歌手としては初めてノーベル文学賞を受賞。さらに、「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のソングライター」において第1位を獲得しています。2021年に再開したワールドツアーは2024年まで続く予定。
 
 ボブ・ディランの数多い名曲の中でわたしが一番好きなのは「風に吹かれて」です。1963年のセカンド・アルバム『フリーホイーリン』の1曲目に収録され、後にシングル・カットされるもののディラン自身の歌はチャート・インしませんでした。しかし同年にピーター、ポール&マリーがカバーしたシングルが全米ヒ2位のヒット、1966年には年にはスティーヴィー・ワンダーのカバーが全米9位を記録しました。反戦や公民権運動などでの集会や行進で歌われる事が多く、ボブ・ディランはプロテスト・ソングのソングライターとして一躍注目を集めるキッカケとなりました。いつの世にも通底する、時代を超越したこの歌は毎年のように数多くのカバー曲を生んでおり、ディランの代表曲にあげる人が多いです。今回、佐藤良明氏による字幕入りの「風に吹かれて」をじっくり聴いてみて、わたしが好きな「風」(1969年、はしだのりひことシューベルツ)に影響を与えていることを確信しました。
 
 映画「名もなき者/A COMPLETE UNKNOWN」は、必要以上にディランを美化せず、過剰にドラマティックにせず、彼の人生の忠実な再現フィルムを見ているようで良かったです。1960年5月、ミネソタ大学を中退したディランは、同年12月にニューヨークに移住。1961年2月初め、ニュージャージー州モリス郡のグレイストーンパーク精神病院で療養中のウディ・ガスリーを見舞いました。有名になった後も、ディランは"心の師"であるガスリーを見舞い続けています。純粋な人だったのでしょう。また、どんなに有名になっても常に孤独感を漂わせており、その点も非常に魅力的でした。ルックスもいいし、歌もいい。それで哀愁を漂わせているのですから、これでモテないわけがありません。実際、モテまくったのでしょうが、映画にも登場する恋人たちの前では素直な一面を見せたり、また彼女たちから多大な影響を受けているところも好感が持てましたね。一言でいうと、キュートです!

 ミネソタ出身の素朴なフォーク青年だったディランは、次第に都会に馴染み、大麻などの薬物にも手を出します。その影響で、1964年頃からコンサートやレコーディングに影響が見られ始めました。ビートルズやローリング・ストーンズをはじめイギリスのミュージシャンとの交流が芽生えました。1960年代半ばのジョン・レノンはディランに傾倒し、作風から精神性などの面でディランに触発されました。またジョージ・ハリスンとは後に生涯にわたる友情を築くこととなります。一方、ディラン自身もこれらブリティッシュ・インヴェイジョンに刺激を受け、エレクトリック・ギターやドラムを使用した作品を矢継ぎ早に発表しました。しかし、従来のフォーク・ソング愛好者、とくに反体制志向のプロテストソングを好むファンなどから、この変化は「フォークに対する裏切り」と解釈されました。映画にも登場する1965年のニューポート・フォーク・フェスティバルで、ディランはバック・バンドと共に数曲演奏しましたが、「トーキングブルース」などの弾き語りを要求するファンから強い非難を受けています。
 
 当時のフォーク・ソングは左翼思想ともリンクしており、エレキやドラムの使用は音楽に不純な資本主義を持ち込むことだと、教条主義的なフォーク・ファンは激しくディランを批判しました。ディランはやむなく舞台を降りた後、アコースティック・ギターを持って再登場し、観客に「お前らなんて信じない」(I don't believe in you,you're a liar!)と言い放ち、過去の音楽との決別を示唆するかのごとく「イッツ・オール・オーバー・ナウ、ベイビー・ブルー」を涙ながらに歌いあげました。このような非難にもかかわらず、ディランは従来以上に新しいファン層を多く獲得したのです。内省的で作家性の強い原曲を、アメリカ社会のさまざまなルーツミュージックやリズム&ブルースなどのバンドアレンジに乗せたこの時期の作品が、ロック史の大きな転換点として位置づけられています。また、この頃の歌詞はアレン・ギンズバーグらの文学者からも絶賛されるようになっており、ロックの歌詞が初めて文学的評価を獲得したものとして重要です。この評価は、後にノーベル文学賞の受賞に繋がったことは言うまでもありません。
 
 最後に、「名もなき者/A COMPLETE UNKNOWN」という映画の魅力は、ボブ・ディランを演じた主演のティモシー・シャラメの存在感と演技力に尽きると言えるでしょう。しかも、架空のキャラクターではなく、実在の人物、それも世界的に有名な人物を演じるのですから、まずは「似ている」ことが求められます。今回のティモシー・シャラメは本当によくボブ・ディランに似ていました。ディランの名曲も実際に歌っています。熱狂的なディラン信者からは「歌声だけでなく、喋り方までそっくりだった」との声が出ているのですから、凄いですね。おそらく、シャラメは憑依型の俳優なのでしょう。それにしても、1995年12月27日アメリカ合衆国ニューヨーク州マンハッタンにあるヘルズ・キッチン生まれの彼は、SF映画の金字塔である「デューン」シリーズも主役を務め、若き日のウイリー・ウォンカも演じるハリウッドの大スターとなりました。まだ29歳なので、ますますの活躍が期待されます。「名もなき者/A COMPLETE UNKNOWN」でのシャラメの熱演には、ディランも満足したことでしょう。