No.364
日本映画「コーヒーが冷めないうちに」を観ました。この映画のテーマを知ったとき、内容の想像がついてしまい、正直あまり期待していませんでした。でも、ブログ「ひよっこ」で紹介したドラマに主演した有村架純の主演映画というので鑑賞しました。訪れたシネコンで一番大きな会場がほぼ満員だったので、ちょっと驚きました。「4回泣けます」ということでしたが、わたしの涙腺は2回だけ緩みました。
ヤフー映画の「解説」には、こう書かれています。
「『1110プロヂュース』主宰の川口俊和の小説を映画化。過去に戻れる席がある喫茶店を舞台に、来店する人々が体験する出来事が描かれる。主演の有村架純が喫茶店の店員を演じるほか、伊藤健太郎、波瑠、薬師丸ひろ子、吉田羊、松重豊、石田ゆり子らが出演。ドラマ『重版出来!』『アンナチュラル』などの演出を担当した塚原あゆ子が監督を務める」
ヤフー映画の「あらすじ」には、こう書かれています。
「時田数(有村架純)が働く喫茶店『フニクリフニクラ』には、ある席に座ると自分が望む時間に戻れるという伝説があった。『過去に戻れるのはコーヒーをカップに注いでから、そのコーヒーが冷めてしまう間だけ』といったいくつかのルールがあるが、過去を訪れたい人たちが次々と来店する
映画で同じ内容のナレーションがありますが、原作小説は「とある街の、とある喫茶店の、とある座席には不思議な都市伝説があったその席に座ると、望んだとおりの時間に戻れるという。ただし、そこにはめんどくさい......非常にめんどくさいルールがあった」という一文で物語が始まります。
その「めんどくさいルール」とは、以下の通りです。
1.過去に戻っても、この喫茶店を訪れた事のない者には会う事はできない
2.過去に戻って、どんな努力をしても、現実は変わらない
3.過去に戻れる席には先客がいるその席に座れるのは、その先客が席を立った時だけ
4.過去に戻っても、席を立って移動する事はできない
5.過去に戻れるのは、コーヒーをカップに注いでから、そのコーヒーが冷めてしまうまでの間だけ
原作では、そんな不思議な喫茶店「フニクリフニクラ」で起こった、以下の心温まる4つの物語が収めされています。
第1話「恋人」結婚を考えていた彼氏と別れた女の話
第2話「夫婦」記憶が消えていく男と看護師の話
第3話「姉妹」家出した姉とよく食べる妹の話
第4話「親子」この喫茶店で働く妊婦の話
映画では、原作と少し設定が違っています。たとえば、「夫婦」のエピソードで記憶が消えていくのは原作では夫ですが、映画では妻ということになっています。映画のメガホンを取ったのは女性である塚原あゆ子監督ですが、この映画、豪華な女優陣が出演しています。有村架純を筆頭に、薬師丸ひろ子、石田ゆり子、吉田羊、そして波瑠。なかなかの華麗なる競演ですね。
男優では、ドラマ「孤独のグルメ」でおなじみの松重豊の演技が印象に残りました。彼は北九州市出身で、わたしと同じ55歳なのですが、一条真也の映画館「検察側の罪人」で紹介した映画に続いて白髪頭で出演していましたね。彼は薬師丸ひろ子の大ファンだったそうですが、晴れて夫婦役を務めることになり、完成披露記者会見で「会いたいと思っていたら、願いは叶うんですね!」と言って、会場の爆笑を誘いました。あと、男優陣では一条真也の映画館「ルームロンダリング」で紹介した映画にも出演していた伊藤健太郎の存在感が光っていました。非常に綺麗な顔をした役者さんですね。大学生の役も新人社員の役も、ともに爽やかにこなしていました。これだけの顔ぶれの女優陣の中で男優として輝くというのは大したものです。今後が楽しみです。
「コーヒーが冷めないうちに」は、いわゆる「タイムトラベル映画」です。時間を旅する喫茶店で不思議な出来事が起こるわけですが、ある意味で突拍子もない物語だと言えます。突拍子もない物語の多くは「ファンタジー」と呼ばれます。一条真也の映画館「ナミヤ雑貨店の奇蹟」で紹介した映画などもその1つですが、突拍子もない物語であればあるほど細部にはリアリティが求められます。たいていのタイムトラベル映画はこの細部のリアリティというやつが苦手で、また矛盾した設定からタイム・パラドックスの罠に陥ることが多々あります。「コーヒーが冷めないうちに」の場合は、ルールの2「過去に戻って、どんな努力をしても、現実は変わらない」によって、タイム・パラドックスに陥る危険を回避しているように思いました。
「タイムトラベル映画」にはファンタジー映画とSF映画の2つのジャンルに属しています。「コーヒーが冷めないうちに」はファンタジー映画だと言えますが、一条真也の映画館「ナミヤ雑貨店の奇蹟」 や「アバウト・タイム~愛おしい時間について~」で紹介した映画も同じです。一方、 「オール・ユー・ニード・イズ・キル」、「インターステラ―」で紹介した作品などは、SF映画の傑作でした。それらの映画をはじめとして、人間が時間を超越する行為を描いた映画は無数にあります。それはそのまま映画の歴史であると言っても過言ではありません。
『死を乗り越える映画ガイド』(現代書林)
拙著『死を乗り越える映画ガイド』(現代書林)にも書きましたが、わたしは映画を含む映像作品そのものが生まれた根源には人間の「不死への憧れ」があると思います。写真は一般に「時間を殺す芸術」と呼ばれます。その瞬間を「封印」するという意味です。しかし映像は「時間を生け捕りにする芸術」です。かけがえのない時間をそのまま「保存」するという意味です。そのことは、わが子の運動会を必死でデジタルビデオで撮影する親たちの姿を見てもよくわかります。「時間を保存する」ということは「時間を超越する」ことにつながり、さらには「死すべき運命から自由になる」ことに通じます。写真が「死」のメディアなら、映画は「不死」のメディアなのです。だからこそ、映画の誕生以来、無数のタイムトラベル映画が作られてきたのでしょう。
「コーヒーが冷めないうちに」の映画公開を記念して、【「あなたが戻りたい過去はいつですか?」エピソード募集企画】というキャンペーンが行われました。そこに集まった一般からのエピソードを波瑠、吉田羊、石田ゆり子、薬師丸ひろ子が朗読してYouTubeで公開していますが、応募作品の中には「亡くなった人と会いたい」というものが多かったようです。「コーヒーが冷めないうちに」そのものにも、生前の故人に会いにゆくエピソードがありました。そういえば、タイムトラベル・ファンタジーの名作である「アバウト・タイム~愛おしい時間について~」の主人公も、父の死をどうしても受け入れられず、何度かタイムトラベルして生前の父に会いに行きました。
『唯葬論』(サンガ文庫)
拙著『唯葬論』(サンガ文庫)にも書きましたが、わたしはすべての人間の文化の根底には「死者との交流」という目的があると考えています。そして、映画そのものが「死者との再会」という人類普遍の願いを実現するメディアでもあるのです。そう、映画を観れば、わたしが好きなヴィヴィアン・リーやオードリー・ヘップバーンやグレース・ケリーにだって、三船敏郎や高倉健や菅原文太にだって会えます。
ネタバレにならないように注意深く書くと、「コーヒーが冷めないうちに」のある登場人物は、喫茶店「フニクリフニクラ」で毎日コーヒーを飲みながら、読書をしています。その書名が2回映し出されるのですが、ヘンリー・ジェイムズの『ねじの回転』とミヒャエル・エンデの『モモ』でした。前者は幽霊譚の、後者は時間旅行ファンタジーの、それぞれ名作として知られます。この2冊に「コーヒーが冷めないうちに」のメッセージはすべて込められていると思いました。