No.533


 日本映画「夏への扉 ―キミのいる未来へ―」を観ました。原作は、一条真也の読書館『夏への扉』で紹介した1957年に書かれた古典SFです。約1年前の緊急事態宣言中に読みました。原作ではアメリカが舞台なので、日本映画化には違和感がありましたが、よく出来ており、面白かったです。

 ヤフー映画の「解説」には、こう書かれています。
「ロバート・A・ハインラインの小説を原作にしたSF。小説の舞台を日本に移し、1995年から2025年へタイムスリップした科学者が、奪われた自身の人生を取り戻そうとする。『フォルトゥナの瞳』などの三木孝浩が監督を務め、『キングダム』などの山崎賢人が主人公を演じ、『浅田家!』などの菅野友恵が脚本を手掛ける。1995年当時を再現するため、スタッフがその時代に使用されていた小道具を集めるなどの工夫が凝らされている」

 ヤフー映画の「あらすじ」は、「1995年の東京。科学者の高倉宗一郎(山崎賢人)は、ロボット開発の研究に熱中する。秀でた科学者であった亡き父の親友・松下が夢見たプラズマ蓄電池の完成を間近に控え、彼は愛猫のピートと松下の娘・璃子と平和な日々を送っていた。だが、共同経営者と婚約者に裏切られ、自分の会社も開発中のロボットや蓄電池も失ってしまう」です。

 今から65年も前に書かれたハインラインの古典SFにほぼ忠実に作られていたのには驚きました。「舞台がアメリカならまだしも、日本では違和感があるのでは?」と思ったのですが、そもそもSFそのものが「大人のおとぎ話」ですから、その点は大丈夫でした。なんといっても、主演の山﨑賢人が素晴らしいです。一条真也の映画館「羊と鋼の森」で紹介した彼の主演映画を観たときから、わたしは山﨑賢人ファンなのですが、透明感があって、人間性の良さが染み出た演技がたまりません。拙著『愛する人を亡くした人へ』(現代書林)の映画化作品「愛する人へ」にはぜひ出演してほしいと願っています。来週、プロデューサーや監督とキャスティング会議ありますが、わたしとしては神木隆之介とともに山﨑賢人の主演案を考えています。

 山﨑賢人以外では、ヒューマノイド・ロボット「ピート」を演じた藤木直人、弁護士役の原田泰造などが存在感を放っていました。ヒロインは清原果耶でした。彼女の姿をスクリーンで見るのは、一条真也の映画館「望み」で紹介した日本映画以来でしたが、本作「夏への扉 ―キミのいる未来へ―」では女子中学生なども演じており、なんだかとても幼く感じました。セーラー服姿などは一条真也の映画館「星の子」で紹介した日本映画に主演した芦田愛菜みたいでした。2人は顔も似ている気がします。年齢は、清原果耶が19歳で、芦田愛菜は17歳ですが。そういえば、「星の子」は昨年11月11日、「望み」は1日後の11月12日に観ました。

 原作者ロバート・アンスン・ハインラインは、アメリカのSF作家です。「SF界の長老」などと呼ばれました。彼の影響を受けたSF作家も数多いですが、物議をかもした作品も多いことで知られます。科学技術の考証を高水準にし、SFというジャンルの文学的質を上げることにも貢献しており、タイムトラベルの物語である『夏への扉』には、家庭用ロボットが詳しく描写され、動作のプログラミングや特殊な機能・頻繁に利用する機能を登録する外部記憶媒体の概念(「メモリー・チューブ」)など、利用法についても現実的な設定が施されています。他にも、CADに酷似した製図用タイプライターなど、個人用端末も登場します。さらには、この作品が発表される5年前の1952年にジェフェリー・ダマーによって考案・発表されたばかりの集積回路の原型が早くも登場しています。

 Wikipedia「ロバート・A・ハインライン」には、「他のSF作家がSF雑誌に作品を載せるなか、ハインラインは1940年代から自分の作品を『サタデー・イブニング・ポスト』などの一般紙に載せた。この結果としてSFの大衆化が進んだのは、ハインラインの功績の1つである。SF小説でベストセラーを産んだ最初の作家でもある。アイザック・アシモフ、アーサー・C・クラークと並んで、世界SF界のビッグスリーとも呼ばれていた。SF短編小説の名手でもあり、アスタウンディング誌の編集長ジョン・W・キャンベルが鍛えた作家の1人である。ただし、ハインライン自身はキャンベルの影響を否定している」と書かれています。

『夏への扉』というSF小説は、おいて特に人気の高い作品だそうです。日本のSFファンのオールタイム・ベスト投票では、度々ベスト1作品になっているのですが、アメリカにおいては『月は無慈悲な夜の女王』と『異星の客』がクローズアップされることが多く、『夏への扉』は日本での限定的な人気にとどまっているとか。いわゆる「時間SF」と呼ばれるジャンルの作品なのですが、タイムトラベルを扱ったSF小説が直面する「自分自身との遭遇」、「未来からのタイムトラベルによる過去の変更」、「タイムトラベルを使って「将来の出来事」を変えることが倫理的かどうか」といった一連の問題を扱っています。

『夏への扉』の「あらすじ」ですが、ハラハラドキドキ、本当に楽しめる物語です。主人公が親友や婚約者から裏切られる場面では、心からの怒りを感じました。また、自分の会社の株式の管理に失敗して主人公が会社を乗っ取られる場面では、わたしも経営者ですので、リアルな恐怖を感じました。そして、冷凍睡眠(コールド・スリープ)で未来に飛んだ主人公が技術者として人生をやり直し、そこから過去に飛んで、自分を陥れた連中にリベンジする場面は痛快そのもので、大いなるカタルシスを感じました。この小説は冷凍睡眠、ロボット、タイムマシンなどが登場するSFなのですが、それ以上に、絶望の底から回復する希望の物語であると思いました。それでもこの物語がSFらしいのは、わたしたちが自由に想像の翼を広げられる「センス・オブ・ワンダー」に満ちた物語だからでしょう。

「夏への扉 ―キミのいる未来へ―」は、時間を超える物語です。ちょうど、この日のシネコンのスクリーンには7月9日公開予定の「東京リベンジャーズ」の予告編が流れていましたが、この映画はいわゆる「タイムループ」ものです。「タイムループ」というテーマ、SF小説やSF映画、さらにはSFマンガなどで数え切れないほど描かれていますが、じつは矛盾なく描くのは至難の業です。日本が誇るSFマンガ「ドラえもん」をはじめ、多くの作品に"つじつまの合わない"タイムループが散見されます。たとえば、一条真也の映画館「オール・ユー・ニード・イズ・キル」で紹介した2014年のトム・クルーズ主演作を観て、「?」と思った突っ込み所は正直言って多々ありました。

 しかし、一条真也の映画館「テネット」で紹介したSF映画のタイムループには「?」がありませんでした。「テネット」は、クリストファー・ノーラン監督が驚異のスケールで放つ、極限のタイムサスペンス超大作です。未知なる映像体験の連続に大いに興奮させられました。エントロピーを逆行させることのできる時間逆行マシンというのが登場するのですが、一応、理にかなっているというか、「ああ、その理論なら時間を逆行できるかもしれないな」と観ている者に思わせる不思議な説得力がありました。拙著『死を乗り越える映画ガイド』(現代書林)において、わたしは映画を含む動画撮影技術が生まれた根源には人間の「不死への憧れ」があると述べました。
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死を乗り越える映画ガイド』(現代書林)



 写真は、その瞬間を「封印」するという意味において、一般に「時間を殺す芸術」と呼ばれます。一方で、動画は「時間を生け捕りにする芸術」であると言えるでしょう。かけがえのない時間をそのまま「保存」するからです。「時間を保存する」ということは「時間を超越する」ことにつながり、さらには「死すべき運命から自由になる」ことに通じます。写真が「死」のメディアなら、映画は「不死」のメディアなのです。わたしは同書に「だからこそ、映画の誕生以来、無数のタイムトラベル映画が作られてきたのでしょう」と書いたのですが、「テネット」の場合は単なるタイムトラベルではありませんでした。まったく新しく「時間」というものをとらえ直した印象でした。

「テネット」を観たときもそうだったのですが、「夏への扉 ―キミのいる未来へ―」を観ながら思ったことは、「過去に戻って、新型コロナウイルスの発生を食い止めてほしいなあ」でした。2019年の武漢ウイルス研究所に時間を遡って潜入し、世界中を混乱に陥れたCOVID-19の発生を防ぐというSF映画がそのうちハリウッドで作られるかもしれません。この映画には、1995年の設定で、Mr。Childrenの大ヒット曲「CROSS ROAD」が何度も流れました。「どんな障害があっても、必ず君を探し出す」といったメッセージがこの映画と共通しているのでしょうが、なつかしかったです。わたしも大好きな曲で、よくカラオケで歌ったものです。ああ、早くコロナが終息して、カラオケに行きたい! 歌といえば、原作『夏への扉』にインスパイアされて作られた山下達郎の「夏への扉」(1980年)も名曲ですね!