No.634
話題の映画「ブロンド」を観ました。
9月28日からネットフリックスで配信開始した作品ですが、ある映画通の方から「問題作ですよ」と教えられて興味が湧きました。けっして娯楽要素の強い面白い作品ではありませんが、この映画を観て初めて知った情報も多く、考えさせられました。マリリン・モンローを演じた主演女優のアナ・デ・アルマスは素晴らしかったです!
ヤフー映画の「解説」には、こう書かれています。
「[Netflix作品]伝説の映画スター、マリリン・モンローの素顔に迫る伝記ドラマ。ジョイス・キャロル・オーツによる小説を原作に、彼女が女優として成功を収める一方で、世間が求めるアイコンを演じる苦悩などを描く。監督・脚本は『ジャッキー・コーガン』などのアンドリュー・ドミニク。マリリンことノーマ・ジーンを『ブレードランナー 2049』などのアナ・デ・アルマスが演じるほか、エイドリアン・ブロディ、ボビー・カナヴェイルらが共演する。第79回ベネチア国際映画祭コンペティション部門に選出された」
ヤフー映画の「あらすじ」は、以下の通りです。
「不安定な幼少期を過ごしたのち、映画スターへの道を歩み始めたノーマ・ジーン(アナ・デ・アルマス)。女優マリリン・モンローとして『紳士は金髪がお好き』などに出演して一躍トップスターとなった彼女は、ハリウッドのセックスシンボルとして脚光を浴びる。しかしその裏側では、本来の自分であるノーマと、世間がイメージするマリリンという虚像とのギャップに苦しんでいた」
「ブロンド」は、ネットフリックス初のR18指定作品です。しかし、ヌードシーンやセックスシーンは大したことはありません。むしろ、ノーマ・ジーンが幼い頃に受けた母親からの虐待シーンで指定になったように思います。マリリン・モンローの生涯をテーマにしていますが、ドキュメンタリーではありません。フィクションとのことですが、基本的に事実に基づいていると思います。彼女がチャールズ・チャップリンの息子と関係があったなんて初めて知りましたし、J・F・ケネディが女性を性欲のはけ口としてしか見ない最低男として描かれているのにも驚きました。でも、原作者のジョイス・キャロル・オーツも故人の名誉を損なうような嘘をわざわざ書かないでしょうから、きちんとした情報源がきっとあるのでしょうね。
あと、ノーマ・ジーンが映画界の大物に抱かれるという、いわゆる「枕営業」で銀幕デビューを果たしたシーンにはリアリティがありました。今でこそ、MeToo運動の功績でハリウッドの性加害の実態も暴かれていますが、昔は無法地帯だったことでしょう。昨日、参議院議員のガーシーが、浜辺美波や川口春奈や橋本環奈といった若手の超人気女優たちが売春行為を行っていたという衝撃の暴露をしました。LINEや動画での証拠もあるとのことで、ガーシーは「どうぞ、訴えてください」などと言い放っています。彼女たちが大ブレークする以前の出来事だそうですが、それでも浜辺美波がお気に入りのわたしにはショックでした。もし本当なら、現在の日本の芸能界も、1950年代のハリウッドと変わらないではないですか!
マリリン・モンローがアメリカの、いや世界の「セックス・アイコン」だったということは事実です。彼女が人気女優になったのは、美貌や演技力というよりも、豊満な肉体が放つ強烈なセックス・アピールでした。そして、彼女の性的魅力のシンボルが金髪の髪、すなわち「ブロンド」でした。「ブロンド美女」といえば、アルフレッド・ヒッチコック監督が愛したことで知られます。グレース・ケリー、キム・ノヴァク、ティッピ・ヘドレンといった女優たちは「ヒッチコック・ブロンド」と呼ばれました。モノクロ作品では、金髪が陰影のなかで女優たちのエレガンスを引き立てています。ヒッチコックはグレース・ケリーに代表される「クール・ビューティ」を好んだヒッチコックは、マリリン・モンローのような肉体派は趣味に合わなかったようで、「まるで顔じゅうにセックスがベタベタと貼り付けられてあるような感じだった」と酷評しています。
「ブロンド」は、主演女優であるアナ・デ・アルマスのための映画だと思います。彼女は本当にモンローにそっくりで驚きました。相当に研究を重ねたことが窺えました。デ・アルマスはモンローに近づけるため、毎日3時間かけてヘアメイクをし、100着もの衣装を着こなしたといいます。さらに、47日間の撮影期間中、ロサンゼルスとその周辺を中心に25ヶ所ものロケ地で撮影したそうです。その中には、大手映画スタジオのワーナーブラザースと20世紀フォックス、LAの老舗レストラン「ムッソー&フランク」、セレブが集うマリブの美しいビーチが含まれています。制作は、モンローが幼少期に住んだの家の近くにあるハリウッドのローリー・スタジオで始まりました。
多くのシーンはモンローが残した写真に基づいているそうです。生前に撮影されたモンローの姿が「ブロンド」の中で見事に再現されたわけです。劇中では、カラーと白黒の切り替えや、異なるアスペクト比を取り入れています。撮影監督のチェイズ・アーヴィンによると、この決定は、ドミニク監督がモンローの生涯をまとめた780ページにわたる写真からインスピレーションを得たものだそうです。アーヴィンは、「マリリンの魂と交信しているような映画を作りたかった。ひとりの人間の心理状態や感情の起伏、それがどのように流れていくかを描写しているんだ。あるシーケンスでカラーで撮るのかモノクロで撮るのか選択しなければならない時、それは直感に従ったよ」と語っています。これらの選択は、「本のページをめくる」ような効果を生むとアーヴィンは説明しています。
「ブロンド」の中で、ノーマが2番目の夫となるジョー・ディマジオに「わたしは舞台女優になりたいの」と言うシーンがります。映画の撮影は演技が細切れであり、「カットパズルと同じ。でも、ピースを選ぶのは(自分ではなく)監督」と言うノーマは、そうではなく、舞台で1人の人物を演じ切ってみたいというのです。その意味では、映画「ブロンド」も、ノーマ/マリリンの肖像を描くためにアンドリュー・ドミニク必要なピースを選び、それを組み合わせて作ったということになりますね。わたしは、カラーと白黒の切り替えはいいのですが、170分近くもありながら、ちょっと場面がクルクル変わり過ぎだなと思いました。これでは、マリリン・モンローのことをよく知らない人が観ても、訳がわからなくなります。逆に言えば、彼女が父親の顔を知らなかったこと、母親が精神病院に入っていたこと、3度の結婚に失敗したこと、J・F・ケネディの愛人であったことぐらいの基礎知識を得てから鑑賞した方がいいと思いました。
それにしても、ノーマ・ジーンの短い生涯はグリーフだらけでした。特に、せかっく身ごもったわが子を無事に産めなかった悲嘆は深かったことでしょう。一条真也の映画館「ジュディ~虹の彼方へ」、「エルヴィス」、「ボヘミアン・ラプソディ」、「ロケットマン」、「ホイットニー ~オールウェイズ・ラヴ・ユー~」などで紹介したジュディ・ガーランド、エルヴィス・プレスリー、フレディ・マーキュリー、エルトン・ジョン、ホイットニー・ヒューストンといった世界のエンターテインメントの伝説のスーパースターたちも、みんな深い悲嘆を抱えながら生きていました。どんな人間にも光と闇がありますが、スーパースターたちは大量の光を浴び続けるぶん、闇の深さも濃いのかもしれません。
そして、マリリン・モンローの生涯を振り返るとき、どうしても浮かんでしまう同時代の大女優がオードリー・ヘプバーンです。わたしは、オードリーの代表作の1つである「ティファニーで朝食を」の主人公ホリ―役はモンローの方がふさわしかったと思っています。モンローのような性的魅力には恵まれなかったオードリーは知性と気品を売り物にしましたが、一条真也の映画館「オードリー・ヘプバーン」で紹介したドキュメンタリー映画を観て、 "永遠の妖精"と呼ばれたオードリーが幼少期に経験した父親による裏切りで深い悲嘆を生涯にわたって抱えていたことを知りました。ちなみに二人とも「うつ病」に苦しみました。
父親のトラウマという点では、オードリーもモンローも同じですが、好きだった父親から捨てられたオードリーに比べ、父親の顔も知らなかったモンローの方がまだ良かったかもしれません。オードリー・ヘプバーンといえば、ルーニー・マーラ自身のプロデュースおよび主演で自伝映画が作られています。監督は映画「君の名前で僕を呼んで」でアカデミー賞作品賞にノミネートされたことがあるルカ・グァダニーノ、脚本は映画「エジソンズ・ゲーム」や「ギヴァー 記憶を注ぐ者」を手がけたマイケル・ミトニックというから楽しみですね。アナ・デ・アルマスがマリリン・モンローになり切ったように、ルーニー・マーラもオードリー・ヘプバーンになり切ることができるでしょうか?