No.762
9月4日、日本映画「こんにちは、母さん」をシネプレックス小倉で観ました。山田洋次監督の90本目の作品ですが、この記事は今年で100本目のわが映画ブログとなります。山田監督といえば91歳の高齢でいまだに現役ですが、一条真也の映画館「キネマの神様」で紹介した2021年の前作が駄作だったので期待していませんでした。でも、本作はベタベタのストーリー展開ながら、泣かされてしまいました。やはり、日本人の心に琴線に触れるのはうまい!
映画ナタリー「解説」には、「『母べえ』『母と暮せば』に続く、『母』3部作の3作品目。永井愛の戯曲を基に、仕事場と家庭で神経をすり減らした男性が実家の母を訪れる。監督は今作が90本目となる、山田洋次。主演は、映画界を牽引し続けてきた吉永小百合。共演はNHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』の大泉洋、永野芽郁、寺尾聰、宮藤官九郎ら豪華俳優陣が名を連ねている」とあります。
映画ナタリーの「あらすじ」は、以下の通りです。
「大企業に勤める神崎昭夫は職場で神経をすり減らし、家庭では妻子との関係に頭を悩ませている。そんな中、彼は久しぶりに下町に暮らす母の福江を訪ねる。しかし迎えた福江は、艶やかな装いでいきいきと暮らし、恋愛までしている様子で、昭夫は戸惑ってしまう」
映画「こんにちは、母さん」の原作は、劇作家の永井愛が2001年に新国立劇場からの委嘱により書いた戯曲です。2007年にNHKの岡崎栄演出によりテレビドラマ化され、2023年に山田洋次監督により映画化されました。テレビドラマ、映画共に戯曲からの内容の改変があるため、劇作家の永井愛は原作というクレジットとなっています。「ひなげし」という地域のボランティア組織が舞台となっているのは共通していますが、福江が恋をする相手は原作では教会の牧師ですが、原作ではカルチャースクールの教師という設定でした。
吉永小百合演じる神崎福江の夫は他界しています。無口な足袋職人でしたが、福江が成人式の晴れ着を着ている姿を見て一目惚れし、「あなたの足袋を作りたいから、靴下を脱いで裸足になって下さい」と大胆な発言をします。福江が裸足になると、黙ったまま足のサイズを測り続ける男を見下ろしながら、彼女は「ああ、わたしはもうこの人を結婚するしかないんだわ」と思ったのでした。なんとも、色っぽいプロポーズの仕方もあったものですね。
最近の山田洋次監督の映画には、松竹のレジェンド、いや日本映画史の至宝というべき小津安二郎の影響を感じてしまいます。「こんにちは、母さん」でも、居酒屋で大泉洋演じる神崎昭夫や大学の同級生で同僚の木部(宮藤官九郎)、昭夫の部下であるOL(加藤ローサ)の3人で飲むシーンに、それを感じました。小津映画にも、よく居酒屋でサラリーマンが飲むシーンがあるのです。昭夫の実家で登場人物たちがお茶を飲んだり、食事をするシーンはローアングルで撮影され、ここにも小津の影響を感じました。
昭夫と木部は大学の同級生で、同じ一流会社に同期入社した親友同士です。しかし、昭夫が50歳前にして人事部長にまで出世したのに対して、木部は開発部の課長どまり。しかもリストラ候補になってしまいます。人事部長である昭夫に向かって「お前は最初から知ってたんだろう!」と怒りをぶつける木部は、怒りが収まらないままに昭夫の実家に押しかけて、昭夫に暴力をふるいます。これは警察を呼ばれて逮捕されても仕方のない言語同断の暴挙です。そもそも、人事部長が業務上の守秘義務を果たすのは当然の行為で、逆恨みする木部の方が100%間違っています。喧嘩のシーンを見て、わたしは木部に腹が立ちました。
さて、福江が恋をする相手ですが、荻生直文といいます。演劇版では児玉清が演じ、カルチャーセンターで『源氏物語』を教える役でした。映画版では寺尾聡が荻生を演じています。これが元は大学でフランス文学を教えていて、現在は教会の牧師という設定になっています。彼がボランティア団体「ひなげし」とともにホームレスの支援活動をしているので、ちょっと驚きました。なぜなら、「隣人愛の実践者」こと東八幡キリスト教会の奥田知志牧師を連想したからです。奥田牧師はホームレス支援の第一人者として知られており、寺尾聡のモデルは奥田さんとしか思えません。わたしは、「映画での寺尾聡の牧師みたいに、奥田さんもモテるのかなあ?」などと不謹慎なことを考えてしまいました。ごめんなさい、アーメン!
その寺尾聡演じる牧師に恋心を抱く福江でしたが、牧師からクラシックのピアノ・リサイタルに招待されます。とっておきの着物姿で出かけた福江はショパンのノクターンに感動します。その後、「墨田川の遊覧船に乗るのが50年来の夢だった」という福江は、その夢を憧れの牧師と一緒に叶えます。そのまま福江にとっての人生最良の1日となる予感がありましたが、現実は残酷でした。福江を自宅まで送った牧師は突然、北海道の教会に移動することになったと別れを告げるのです。思いもよらぬ別れの告白にショックを受ける福江を見るのは辛いものがありました。
でも、恋愛をするのはけっして無駄ではないし、悪いことではありません。恋をしているときの福江は本当に生き生きと輝いていました。それを聴いた永野芽衣演じる大学生の孫娘は「素敵!」と感じ、自らも近くにいた好青年とデートをする決心をします。まさに恋愛の連鎖は「幸せの連鎖」。どんな人にだって恋をする権利はありますし、それを阻む倫理観など無意味です。わたしは、一条真也の映画館「ローマの休日 製作70周年記念 4Kレストア版」にも書きましたが、「命短し、恋せよ老若男女!」と思いました。
失恋というのはグリーフの1つですが、彼女にとってグリーフをセルフケアする方法は酒でした。暗い部屋の中で日本酒を飲み続ける福江の前に現れたのは、息子の昭夫。彼もまたこの日は妻と離婚し、会社を退職するというダブル・グリーフの日でしたが、福江の晩酌に付き合います。ちょうど、この日は昭夫の誕生日でもありました。そのとき、墨田川花火大会の花火が上がります。母子で花火を見上げながら、福江は昭夫に向かって「お前が生まれたときも花火が上がったんだよ。お前の誕生を世界中が祝福しているようだった」と言うのでした。特報映像や予告編で何度も見ていたシーンでしたが、これがラストシーンになるとは思いませんでした。
吉永小百合はけっして演技の上手な女優さんではありません。それは、映画界では有名な話です。でも、演技は上手くなくても、彼女の演技には心があります。 一条真也の映画館「母と暮せば」で紹介した2015年の山田洋次監督の名作、一条真也の映画館「いのちの停車場」で紹介した2021年の成島出監督の名作以来のハートフルな演技を見せてくれました。「いのちの停車場」では、吉永小百合演じる女医の父親役を田中泯が演じました。この田中泯、「こんにちは、母さん」ではホームレスの老人役でしたが、これがまた良かった。特に、「若い頃は女が悩みの種だった。今は女がいないことが悩みの種だ」というセリフは心に染みましたね。
そして、なんといっても主役の神崎昭夫を演じた大泉洋が良かったです。彼の出演映画はこれまでに数多く見ていますが、これまでのベストは一条真也の映画館「月の満ち欠け」で紹介した2022年の作品。コメディアンの印象が強い彼ですが、この映画ではシリアスな演技が光っていました。本作「こんにちは、母さん」でもシリアスな演技が多いですが、ときどきコメディアンぶりを発揮して笑わせてくれます。スクリーンの中の大泉洋を見ていて、わたしは「渥美清の寅さんに似てるな」と思いました。
もしも松竹が「男はつらいよ」のリメイクを作るならば、車寅次郎役は大泉洋しかいないように思います。山田洋次もそのつもりで自身の監督映画90本の記念作品の主役に彼を起用したのかもしれませんね。最後に、この日、シネプレックス小倉でとんでもない映画の特報が目に飛び込んできました。寅さんと並ぶ昭和の大ヒーローのドキュメンタリー映画が来月6日に公開されるというのです。知らなかったので、ビックリしました。これは絶対に観ます!