No.1160
11月14日、この日から公開されたアメリカ映画「スプリングスティーン 孤独のハイウェイ」をローソン・ユナイテッドシネマ小倉で観ました。けっこう楽しみにしていた作品ですが、ひたすら暗く、救いのない映画でした。
ヤフーの「解説」には、こう書かれています。
「ブルース・スプリングスティーンの楽曲『BORN IN THE U.S.A.』の誕生前夜を、『クレイジー・ハート』などのスコット・クーパー監督が描いた伝記ドラマ。名声の陰で孤独や葛藤を抱えていたスプリングスティーンが、自室にこもってアルバム『NEBRASKA』の創作を開始する。スプリングスティーンを演じるのは、ドラマシリーズ『一流シェフのファミリーレストラン』などのジェレミー・アレン・ホワイト。ジェレミー・ストロングやポール・ウォルター・ハウザーなどが共演する。」
ヤフーの「あらすじ」は、「1982年、アメリカ・ニュージャージー。成功の陰で葛藤に揺れていたブルース・スプリングスティーン(ジェレミー・アレン・ホワイト)は、自室に一人でこもり、4トラックの録音機でアルバムの制作を始める。その制作の裏には、父親との確執や恋人との時間、母親との思い出などがあった」となっています。
この映画は特定のミュージシャンの伝記映画ですが、このジャンルには、 一条真也の映画館「ボヘミアン・ラプソディ」、 「ロケットマン」、 「エルヴィス」、「ホイットニー・ヒューストン I WANNA DANCE WITH SOMEBODY」、「ボブ・マーリー:ONE LOVE」、「「名もなき者/A COMPLETE UNKNOWN」 などで紹介した作品群があります。それぞれ、フレディ・マーキュリー、エルトン・ジョン、エルヴィス・プレスリー、ホイットニー・ヒューストン、ボブ・マーリー、ボブ・ディランといった偉大なミュージシャンたちの伝記映画です。これらの作品に比べて、「スプリングスティーン 孤独のハイウェイ」は地味というか、ドラマ性というものが決定的に欠けていると感じました。
ブルース・フレデリック・ジョセフ・スプリングスティーンは、1949年9月23日、アメリカ合衆国ニュージャージー州生まれのシンガー・ソングライターです。ニックネームは「The Boss」。米国のロック界を代表する重鎮として世界的な知名度を誇り、アメリカで6400万枚、全世界で1億3500万枚以上のレコードセールスを記録しています。初期の作品においては、青春群像の描写に才能を示しましたが、やがて社会的なテーマを作品に織り込む事によって、アメリカの労働者や若者の声を代弁者となりました。
ブルース・スプリングスティーンのロックはボブ・シーガーやトム・ペティらとともに「ハートランド・ロック」とも呼ばれます。ハートランドはアメリカ中西部から南部の一部も含む広大な地域で、労働者や農民も多い地域です。支持政党はアメリカ民主党。自らが目指す音楽について、彼は「ボブ・ディランのような歌詞を、フィル・スペクターのようなサウンドに乗せて、ロイ・オービソンのように歌いたかった」と述べています。1999年、「ロックの殿堂」入り。
この映画でも描かれていますが、ブルースは父とずっと良好な関係が築けませんでした。彼は「親父とは話ができなかった。親父の方も俺に口を開こうとしなかったし、母親も親父に話しかけることはなかった」と語っています。彼の父親は、古き良きアメリカの夢、アメリカの道徳を信じていました。日々汗を流し、家族を養うために黙々と働く父親にとって、髪を肩まで伸ばし、音楽に熱中するブルースは、許しがたい存在に映っていたのでしょう。ブルースは「だから俺は、大きくなって自立できるようになった時は嬉しかった」とも語っています。彼は1981年に2枚組アルバム『ザ・リバー』を発表しましたが、そこに収録されている「インディペンデンス・デイ」こそ、ブルースが父親から「独立」したことを宣言する歌でした。
ブルースの父親のダグラスはオランダ系とアイルランド系のアメリカ人でしたが、この映画を観る限り、「毒親」と呼べるほどの酷い父親のようには見えませんでした。もともとロックは反抗的な音楽として見られ、親という旧世代とは相性が良くないもの。フレディ・マーキュリーやエルトン・ジョンなどはLGBTQの問題などを含めて父親から認められない葛藤を抱えていましたが、ダグラス・スプリングスティーンの場合は息子のブルースに「男らしく生きろ」という単純な指導をしていただけであり、それはそんなに責められることでもないと思いました。現在もブルースは「うつ病」と闘っているそうですが、その原因を幼少期の父との関係に求めるのは違うように思います。
映画「スプリングスティーン 孤独のハイウェイ」には、父と子の心あたたまる場面も多々ありました。ラスト近くで老いた父親と和解したブルースがコンサート後に父の膝の上に乗るシーンも良かったです。でも、ブルースに学校を休ませてダグラスが映画館に連れて行くシーンが最も印象的でした。上映されていた作品は、わたしも大好きなアメリカ映画「狩人の夜」(1955年)でした。チャールズ・ロートン監督によるフィルム・ノワールです。スリリングな物語展開、モノクロの幻想的で美しい映像と共に、狂気の伝道師を演じたロバート・ミッチャムの怪物的演技が高く評価されています。いわゆるホラーやスリラーにジャンル分けされる映画で、怖くなったブルース少年が父親の手を握っていました。この父子に心の交流は確実にあったのです。
しかし、ダグラスは、うつ病患者でした。そして、ブルースも長年うつ病に悩まされていたと自伝『ボーン・トゥ・ラン』で告白。アメリカのEストリート・バンドのギタリスト、スティーヴ・ヴァン・ザントはかつて、バンドを率いるブルース・スプリングスティーンが薬物に手を出さなかった理由について、父親のようにうつ病を患うことを心配したからだと語ったことがありますひと昔前なら、この手のカミングアウトをすれば厳しい結果を招いたものです。1972年の米大統領選では、民主党副大統領候補のトマス・イーグルトンがうつ病の治療を受けていたことが判明し、選挙への影響を懸念した大統領候補のジョージ・マクガバンにクビにされました。あの頃と比べると、今は精神疾患に対する社会の偏見もいくらかは解消されています。ロック界の「ボス」がこれぐらいのことで障害にぶち当たることはありません。
ブルース・スプリングスティーンの代表作といえば、やはり「ボーン・イン・ザ・U.S.A.」でしょう。1984年リリースのアルバム『ボーン・イン・ザ・U.S.A.』からのシングル曲です。当初ポール・シュレイダーが制作を考えていた映画のタイトル曲として、1981年に書かれたものでした。映画の企画が立ち消えたのでブルースは自身のマルチプラチナ・アルバムの同名アルバムに使用しました。その歌詞は、アメリカ人のベトナム戦争の影響を扱ったものでしたが、純粋な愛国主義の内容として誤解されました。 また、ロナルド・レーガン大統領は選挙運動の際この曲を利用して投票者を獲得。アルバム『ボーン・イン・ザ・U.S.A.』は、全米で1200万枚、全世界で2000万枚の売上を記録し、発表と同時に行われたワールド・ツアーも大成功を収めました。映画「スプリングスティーン 孤独のハイウェイ」には、このアルバムの製作秘話も描かれています。
「ボーン・イン・ザ・U.S.A.」の大ヒットで世界的スーパースターとなったブルース・スプリングは、1985年4月、初来日公演を行いました。同年5月、モデルのジュリアン・フィリップスと結婚(1988年に離婚)。同年、USA for AFRICAの「ウィ・アー・ザ・ワールド」に参加しました。並み居るトップ・ミュージシャンの中でも力強いしゃがれ声で存在感を示し、ソロパートを2度も担当しています。メイキング映像によると、「飢えている人たちのために一晩くれと言われたら、断るわけにはいかない」と語っています。また、当時Eストリート・バンドを離れていたスティーヴ・ヴァン・ザント(後に復帰)を中心とした「アパルトヘイトに反対するアーティストたち」の楽曲「サン・シティ」にも参加しています。
「ウィ・アー・ザ・ワールド」は、アフリカの飢餓と貧困層を解消する目的で作られたキャンペーンソングです。ハリー・ベラフォンテの構想をもとに、大物アーティストのマネージャーとして知られる、芸能プロデューサーのケン・クレイガに裏の調整役として協力を求めました。この背景には、イギリスで活躍するミュージシャンのボブ・ゲルドフが提唱したバンド・エイドの成功に触発された事実がありました。作詞・作曲は、マイケル・ジャクソンとライオネル・リッチーが共作で行い、プロデュースはクインシー・ジョーンズが担当。レコーディング時にドキュメンタリーも制作され、ビデオとして全世界で販売されました。当時、大学生だったわたしも購入し、何度も何度も視聴しました。まさに、音楽史上最高のコンパッション・ソングでした。
「ウィ・アー・ザ・ワールド」のビデオの中で、ブルース・スプリングスティーンとともに圧倒的な存在感を示したのがマイケル・ジャクソンです。ブルースの歌唱が「剛」なら、マイケルのそれはまさに「柔」でした。マイケルといえば"キング・オブ・ポップ"と呼ばれましたが、彼の自伝映画「Michael/マイケル」の2026年6月公開が決定しました。音楽活動の枠を超えて活躍したマイケル・ジャクソンの生涯が描かれ、ジャクソン5として並外れた才能が発見された瞬間から、クリエティブな野心を原動力に世界一のエンターテイナーを目指し、飽くなき追求を続けた先見的なアーティストになるまでの道のりを追っています。これまで多くの偉大なミュージシャンの伝記映画が作られてきましたが、ついにマイケル・ジャクソンの人生が映画化されることにワクワクします。主演のマイケル・ジャクソン役には、マイケルの実の甥である新星ジャファー・ジャクソンが抜擢されました。来年の6月が今から楽しみです!


