No.1158
11月8日の日曜日、前日の7日から配信されているNETFLIX映画「フランケンシュタイン」を観ました。原作はあまりにも有名なメアリー・シェリーのゴシック小説で、もう何度も映画化されています。しかし今回は、わたしの大好きな監督であるギレルモ・デル・トロの作品だけあって、さすが素晴らしい力作でした。さらには、グリーフケア映画の傑作にもなっていました。
ダークファンタジー映画の大傑作である「パンズ・ラビリンス」(2007年)をはじめ、一条真也の映画館「パシフィック・リム」で紹介した2013年の怪獣映画、一条真也の映画館「クリムゾン・ピーク」で紹介した2016年のダークミステリー映画、 一条真也の映画館「シェイプ・オブ・ウォーター」で紹介した2018年のファンタジーラブストーリー映画、一条真也の映画館「ナイトメア・アリ―」で紹介したサスペンススリラー映画などの監督であるメキシコの鬼才ギレルモ・デル・トロが、19世紀イギリスの作家メアリー・シェリーが生み出し、後世の多くの創作物に影響を与えたゴシック小説『フランケンシュタイン』を映画化したのが本作です。フランケンシュタイン役は「スター・ウォーズ」シリーズや一条真也の映画館「DUNE/デューン 砂の惑星」で紹介したSF超大作のオスカー・アイザックが演じています。怪物役は「プリシラ」(2023年)などのジェイコブ・エルロディが勤めています。その他、一条真也の映画館「X エックス」で紹介した2022年のホラー映画のミア・ゴス、「ジャンゴ 繋がれざる者」で紹介した2013年の西部劇などのクリストフ・ワルツ、一条真也の映画館「西部戦線異状なし」で紹介した2023年の戦争映画のフェリックス・カメラーらが共演しています。ネトフリ、やるな!
「あらすじ」は、以下の通りです。
幼い頃に父親から英才教育を受けてきたヴィクター・フランケンシュタインは優秀であったが父から受ける虐待により自己中心的な性格へとなってしまいました。母が死産して生まれた弟をひいきするようになった父に怒りを感じ、死そのものを克服する方法を研究することを決めます。成長したヴィクターは日夜遺体を使って肉体を蘇生させる方法に没頭し、電力を使って死体の体を反射的に動かすまで研究は成功します。審問会でそれを披露したヴィクターの研究に巨額の資金を投じるスポンサーが現れたことで、ヴィクターは死体をかき集めて負傷しても回復する治癒能力と屈強な肉体を持った超人を作るべく研究を推し進めて行くのでした。
今回の「フランケンシュタイン」は、デル・トロが長年にわたり映像化を熱望してきた企画で、自ら製作・脚本も担当しました。撮影を「シェイプ・オブ・ウォーター」「ナイトメア・アリー」のダン・ローストセン、音楽を「シェイプ・オブ・ウォーター」のアレクサンドル・デスプラが手がけました。2025年・第82回ベネチア国際映画祭コンペティション部門出品。NETFLIXで2025年11月7日から配信。それに先立つ10月24日から一部劇場で公開されています。わたしは映画コラムニストのアキ(堀田明子)さんから教えていただき、NETFLIXで鑑賞したのですが、「デル・トロが作ったわりには、意外と原作に忠実だな」というのが最初の感想でした。そこに彼のフランケンシュタイン愛を強く感じました。
ギレルモ・デル・トロといえば、これまで多くの不思議な生き物を作ってきました。「パンズ・ラビリンス」(2006年)のパンや「ヘルボーイ ゴールデン・アーミー」(2008年)の"死の天使"などが代表的ですが、彼はもともとラヴクラフトのクトゥルフ神話を愛読し、「フランケンシュタイン」や「吸血鬼ドラキュラ」などの古典的なモンスターに魅せられてきました。彼の住処は「荒涼館」と呼ばれ、そこには古今東西、奇妙奇天烈なモンスターたちが蒐集されています。「荒涼館」の全貌は『ギレルモ・デル・トロの怪物の館 映画・創作ノート・コレクションの内なる世界』ブリット・サルヴェセン&ジム・シェデン著、阿部清美訳(DU BOOKS)で知ることができますが、デル・トロの怪物への愛情がハンパではないことがよくわかります。その原点こそ、「フランケンシュタイン」だったのですね。
昨年、ある映画を観たとき、わたしは「フランケンシュタイン」を強く意識しました。その映画とは、一条真也の映画館「哀れなるものたち」で紹介した2023年のSF映画です。ヨルゴス・ランティモス監督がスコットランドの作家アラスター・グレイによる小説を映画化。天才外科医の手により不幸な死からよみがえった若い女性が、世界を知るための冒険の旅を通じて成長していく物語です。若い女性ベラ(エマ・ストーン)は自ら命を絶ちますが、天才外科医ゴッドウィン・バクスター(ウィレム・デフォー)によって胎児の脳を移植され、奇跡的に生き返ります。「世界を自分の目で見たい」という思いに突き動かされた彼女は、放蕩者の弁護士ダンカン(マーク・ラファロ)に誘われて大陸横断の旅に出ます。大人の体でありながら、新生児の目線で物事を見つめるベラは、貪欲に多くのことを学んでいく中で平等や自由を知り、時代の偏見から解放され成長していくのでした。
映画「哀れなるものたち」の冒頭では、自死した女性が人造人間ベラとして蘇ります。女性の人造人間といえば、どうしても「フランケンシュタインの花嫁」(1935年)を思い出します。しかも、ベラを生き返らせたゴドウィン・バクスターの顔はツギハギだらけで、フランケンシュタインのモンスターを彷彿とさせるのです。「フランケンシュタインの花嫁」は、アメリカのユニバーサル映画が製作したSFホラー映画の古典です。映画史に燦然と輝く名作「フランケンシュタイン」(1931年)の続編で、監督ジェイムズ・ホエールと怪物役のボリス・カーロフは前作と同じです。エルザ・ランチェスターが怪物の花嫁とメアリー・シェリーの二役を演じましたが、誕生してすぐに不幸な最期を遂げます。
1931年の「フランケンシュタイン」は、ホラー映画の金字塔的作品ですが、そこに描かれた怪物は、いかつい不気味な大男で、全身の皮膚に人造人間であることを意味する縫い目がありました。さらには、特徴的な四角形の頭部といったビジュアルが印象的でした。これが後世に典型的イメージとして広く定着し、また本来は「フランケンシュタインによる怪物」であるはずが、いつのまにか怪物自身を指して「フランケンシュタイン」と呼称されるようになったのです。しかし、これは間違いです。作者はこの作品が舞台化された際の台本を見たときに、怪物の名前が____(アンダーバー)だったことを喜んだそうです。『フランケンシュタイン』の作者は、怪物の名前がないことにこだわっていたのです。
その映画「フランケンシュタイン」の原作を書いた作者こそ、メアリー・シェリー(1797年~1851年)です。同作はSF小説の元祖とされています。「哀れなるものたち」の主人公ベラには、メアリー・シェリー自身と彼女の実母であるメアリ・ウルストンクラフト(1759年~1797年)の両方の人生が反映しています。メアリー・シェリーは幼少の頃、イギリスの政治評論家で無政府主義(アナキズム)の先駆者であった実父のウィリアム・ゴドウィンから溺愛されて、家から出してもらえなかったとか。ウィレム・デフォー演じるゴッドウィン・バクスターのベラへの態度に重なりますね。また、メアリー・シェリーの母であるメアリ・ウルストンクラフトはイギリスの社会思想家で、『女性の権利の擁護』を書いたフェミニズムの先駆者でした。
メアリ・ウルストンクラフトはタブーに縛られない人生を送り、未婚のまま多くの男性と交際したといいます。当然、セックスにも開放的でした。メアリー・シェリーを産んだときも相手であるウィリアム・ゴドウィンとは結婚していなかったのです。そして、産後の肥立ちが悪く、彼女はメアリーの出産後間もなく亡くなったのでした。このように、「哀れなるものたち」の主人公であるベラという人造人間のキャラクターには、メアリ・ウルストンクラフトとメアリー・シェリーの母娘の人生が反映されているのです。ベラ自身が母親の肉体に娘の脳が入った存在ですので、その意味では母娘一体の見事なメタファーになっています。一方、メアリー・シェリーが書いた『フランケンシュタイン』は父と息子の対立のメタファー的構造を持っている点が面白いですね。
そのメアリー・シェリーの驚くべき生涯を描いた映画が、一条真也の映画館「メアリーの総て」で紹介した2017年のイギリス・ルクセンブルク・アメリカ合作映画です。「哀れなるものたち」を観て感動した前述のアキさんが、続けて同作を観たそうで、「『メアリーの総て』も良かったです! 『フランケンシュタイン』読んでみたくなりました。まさに、フェミニズム映画でしたよ!」とのメッセージをLINEで送ってくれたので、観ようと決めました。「メアリーの総て」には『フランケンシュタイン』誕生の背景が描かれていますが、19世紀のイギリスの劇場で行われていた幻想ショー「ファンタスマゴリア」や生体電気(ガルバニズム)でカエルの死骸を動かす実験などのメアリーが『フランケンシュタイン』の物語を思いつくヒントになった場面が興味深かったです。
小説家を夢見るメアリーは〝異端の天才"と噂される、妻子ある詩人パーシー・シェリーと出会います。互いの才能に強く惹かれあった2人は、情熱に身を任せ、駆け落ちします。しかし、愛と放蕩の日々は束の間、メアリーに数々の悲劇が襲い掛かるのでした。失意のメアリーはある日、夫パーシーと共に滞在していた、悪名高い詩人・バイロン卿の別荘で「皆で1つずつ怪奇談を書いて披露しよう」と持ちかけられます。ここで、医師でもあったポリドリが『吸血鬼』の着想を得ます。これは後に、ブラム・ストーカーの『ドラキュラ』に大きな着想を与え、吸血鬼物語は怪奇小説の一大ジャンルとなります。そして、バイロンの別荘で生まれたもう1つの着想が当時18歳のメアリーによる『フランケンシュタイン』の物語でした。
バイロンの別荘はスイス郊外のレマン湖畔にあり、「ディオダディ荘」と呼ばれました。1816年、ここに5人の男女が集まり、それぞれが創作した怪奇譚を披露しあった出来事は「ディオダディ荘の怪奇談義」と呼ばれます。これを題材にした映画がケン・ラッセル監督のイギリス映画「ゴシック」(1986年)です。バイロン伯爵の壮大な屋敷にやって来た3人の客。詩人シェリーと愛人メアリー、彼女の義理の妹クレア。その夜、この屋敷の侍医でもあるポリドリと共にディナー・パーティが開かれました。それは文学史上最も重大な一夜になる事を、未だ誰も知らなかったのです。ケン・ラッセルは大好きな監督ですが、数多い彼の名作の中でも「ゴシック」は幻想と怪奇の世界を独特の映像美で綴る怪奇幻想映画の傑作です。
1816年は前年の火山噴火の影響で「夏のない年」と呼ばれ、長雨が続きました。レマン湖畔も例外ではなく雨が降り続き、ディオダティ荘の一同は外出もままならず大いに退屈。バイロンとシェリーは哲学談義にふけっていましたが、その内容はガルヴァーニ電気の可能性、生命の伝達、死者の蘇生、エラズマス・ダーウィン博士の生命実験といった、どちらかというと現代のSFに近いものでした。ある日、バイロンがコールリッジの「クリスタルベル姫」という詩を朗読していましたが、神経過敏だったシェリーは全身に冷や汗をかいて大声を出し、昏倒。その後、一同は気を取り直してドイツの怪奇譚をフランス語に訳したアンソロジー『ファンタスマゴリアナ』を朗読した後、「皆で1つずつ怪奇譚を書こう(We will each write a ghost story.)」とバイロンが一同に提案したのです。
さて、今回の新作「フランケンシュタイン」を観て、わたしは、ユニバーサル・スタジオの礎を築くモンスターの世界の新たなる幕開けとなるはずだった「ダーク・ユニバース」シリーズを思い出しました。一条真也の映画館「ザ・マミー/呪われた砂漠の王女」で紹介した2017年公開のシリーズ第1弾は、トム・クルーズを主演としながらも、期待したほどのヒットになりませんでした。同作は、1932年製作の「ミイラ再生」を新たによみがえらせたアクションアドベンチャーで、エジプトの地下深くに埋められていた王女の覚醒と、それを機に始まる恐怖を活写しているのですが、あまり怖くなかったです。ホラー映画という感じではなかったですね。
ダーク・ユニバースの第2弾は、一条真也の映画館「透明人間」で紹介した2020年の映画でした。ジェイソン・ブラムが製作を担当したサスペンスで、自殺した恋人が透明人間になって自分に近づいていると感じる女性の恐怖を描きました。天才科学者で富豪のエイドリアン(オリヴァー・ジャクソン=コーエン)の恋人セシリア(エリザベス・モス)は、彼に支配される毎日を送っていました。ある日、一緒に暮らす豪邸から逃げ出し、幼なじみのジェームズ(オルディス・ホッジ)の家に身を隠します。やがてエイドリアンの兄で財産を管理するトム(マイケル・ドーマン)から、彼がセシリアの逃亡にショックを受けて自殺したと告げられるのでした。
ユニバーサルといえば、モンスター映画の老舗として知られますが、同社が「アヴェンジャーズ」や「ジャスティス・リーグ」ばりのフランチャイズ企画として立ち上げたのが「ダーク・ユニバース」でした。自社の財産である怪物キャラを再生させていくのが目的だと言えるでしょう。「ダーク・ユニバース」では、1920〜1950年代にユニバーサルが精力的に作っていた「ユニバーサル・モンスターズ」シリーズより、「魔人ドラキュラ」「フランケンシュタイン」「ミイラ再生」「透明人間」「フランケンシュタインの花嫁」「狼男」「大アマゾンの半魚人」「オペラの怪人」「ノートルダムのせむし男」などの中からリブート作品を製作していく企画でした。SNS上では、ラッセル・クロウ、ハビエル・バルデム、トム・クルーズ、ジョニー・デップ、ソフィア・ブテラが一同に介した写真が公開されていますが、とんでもない豪華メンバーたちが新時代のモンスター映画で競演してくれると期待しました。
その後、自社のモンスター映画を連続でリメイクする企画「ダーク・ユニバース」について、ユニバーサル・ピクチャーズ社のドナ・ラングリー会長が「失敗だった」と認めています。やはり、第1弾「ザ・マミー 呪われた砂漠の王」が興行的・批評的不振に終わったことで、構想そのものが一時凍結されてしまったのです。当初、一条真也の映画館「美女と野獣」で紹介した2017年のファンタジー映画を手掛けたビル・コンドン監督が、1935年の名作「フランケンシュタインの花嫁」で新たにメガホンを取り、ハビエル・バルデムがフランケンシュタインを演じるという話がありました。また、ライアン・ゴズリングを主演に迎えて「狼男」(1941年)のリメイク企画が始動したとかの噂もありましたが、結局は実現しませんでした。ギレルモ・デル・トロ監督が「フランケンシュタイン」(1931年)のリメイク企画に着手したという噂もありましたが、これは「ダーク・ユニバース」ではなく、NETFLIX映画として実現したわけです。
結局、「ダーク・ユニバース」構想は頓挫しました。ユニバーサル会長のドナ・ラングリーは「失敗だった」と告白し、「ザ・マミー」監督のアレックス・カーツマンは「あの作品は人生最大の失敗だった」と述べています。ユニバーサルは、予定されていた作品をそれぞれ独立した作品として製作する方針に切り替え、その後、ニコラス・ケイジがドラキュラ伯爵を演じた映画「レンフィールド」(2023年)が公開されています。同作は、1897年の小説『吸血鬼ドラキュラ』の登場人物をフィーチャーしたロバート・カークマンのオリジナルのアイデアに基づいて、ライアン・リドリー脚本、クリス・マッケイが監督したホラーコメディ映画です。また、ユニバーサル・ピクチャーズのドラキュラシリーズのリブート作品でもあります。主演はニコラス・ホルト、ニコラス・ケイジ。 日本では劇場公開されず、ブルーレイ・DVDが発売されたのみでした。
「ダーク・ユニバース」の企画としては実現しなかったものの、NETFLIXで蘇ったデル・トロの「フランケンシュタイン」。それは、これまでのフランケンシュタイン映画のイメージを一新するものでした。まず、原作通りに北極でのエピソードを冒頭に持ってきたことに驚きました。それから、ヴィクトル・フランケンシュタインの少年時代を丁寧に描いていましたね。彼は「死」について考え続けた少年でしたが、それはわたしも同様です。ただし、ヴィクトルが生物学および医学的に「死」に興味を抱いたのとは違い、わたしは哲学的および宗教的な関心からでしたが。どうしても死ねないことに苦しむ怪物の姿は「死は解放である」という真実を饒舌に語ってくれました。また、怪物の悲しみというものを切実に描いており、優れたグリーフ映画となっていました。そして、そのグリーフは、最後に創造主であり父であるヴィクトル・フランケンシュタインとの和解によってケアされたのです。これは感動的な場面でした。
「フランケンシュタイン」という物語は、「怪物とは何か」そして「人間とは何か」についても考えさせてくれます。この点では、一条真也の読書館『フランケンシュタイン・コンプレックス』で紹介した文芸評論家の小野俊太郎氏の著書が非常に参考になりました。同書は、『フランケンシュタイン』『ドラキュラ』『ジーキル博士とハイド氏』『透明人間』などの怪奇小説やSFの古典的名作を通して、「人間は、いつ怪物になるのか」を探るという興味深い論考です。じつは、わたしには『世界の「聖人」「魔人」がよくわかる本』(PHP文庫)や『よくわかる「世界の怪人」事典』(廣済堂文庫)といった監修書があるのですが、それらの本で追求したメインテーマこそ「人間と何か」だったのです。
魔人、怪人、そして怪物......「怪物」というと、さまざなイメージが湧いてくるのではないかと思います。哲学者のニーチェは、『善悪の彼岸』の中で、「怪物とたたかう者は、みずからも怪物とならぬようにこころせよ。なんじが久しく深淵を見入るとき、深淵もまたなんじを見入るのである(竹山道雄訳)」と述べました。怪物の一般的イメージは、怖いもの、醜いもの、遠ざけておきたいもの、などでしょう。そうした怪物の代名詞こそ、「フランケンシュタイン」です。誰でも知っている、その固有名詞は何かを怪物視するときに利用されます。たとえば、遺伝子組み換え食品が「フランケン(シュタイン)フード」と呼ばれるように。人間が作り出したおぞましい怪物食品というわけですね。
「フランケンシュタイン」は人造人間の物語ですが、あらゆる新時代のテクノロジーへの不安を呼び起こす力を持っています。現在、人類が最も脅威に感じているテクノロジーといえば、なんといってもAIでしょう。その中心物は、ChatGPTを作ったOpenAI作ったOpenAI社の創業者であるサム・アルトマンです。同社は今から10年前の2015年12月、イーロン・マスクとアルトマンが共同で会長を務めるかたちで設立されました。グーグルなどから優秀な人材を集めてスタートしましたが、そもそもの目標である「AGI(Artificial General Intelligence)」(汎用人工知)の定義がはっきりしなかったそうです。
アルトマンによれば、2022年当初は"Chat With GPT-3.5"と仮称していた研究プロジェクト11月3030日に「ChatGPT」として正式リリースされると、ユーザー数はかつてないスピードで急拡大。数カ月で世界的に認知され、2024年末時点で週次アクティブユーザーは3億を突破しました。「AGIの実現」が視野に入った今、アルト2025年にはAIエージェントが労働市場に本格参画し、企業の生産性を変革するだろう」と予測。その先に続く"超知能)"についても言及し、「信頼できる安全策を整えつつ、技術の恩恵を幅広い人々に行き渡らせることが重要」と強調。研究開発の段階的公開・社会実験を通じての安全性向上を重視しつつ、「数年後にはSFのような光景が現実になり、誰もがそのインパクトを体感する」と述べています。AIの暴走が人類を滅亡させるといった不安は根強いですが、果たして、サム・アルトマンは「21世紀のヴィクトル・フランケンシュタイン」となるのでしょうか?


